IMG_20220731_152608 7月31日(日)晴れ。日本考古学協会の会長などを歴任した考古学者の大塚初重さんが亡くなられた。享年95歳。もう24年も前になるが、一度だけ講演を聴いたことがある。1998年は日本考古学協会の創立50周年の年にあたり、京都と東京で記念講演会が行われた。私は京都での講演を聴いたのだが、その時角田文衛、小林達雄、都出比呂志、坪井清足などと共に大塚初重さんも話をされた。登呂遺跡の発掘調査のことを中心に戦後の日本の考古学の歩みを述べられたが、最後に言われた「いかに生きるか、人間そのものをどのように理解するかを把握した上で考古学に向うべき、人間自身をどうみるかが21世紀の考古学の命題であろう」という言葉が記憶に残っている。その後、著書を読んで、この人が第二次世界大戦に従軍し、爆撃を受けて沈没した船から海に投げ出され、東シナ海を漂流してIMG_20220731_155706九死に一生を得たことを知った。それも二度までも。運が強いというか、余程神や仏の加護があったのか。いや生き延びて成し遂げるべき仕事があったのだろう。不死身の人だとばかり思っていたが。
 今日は旧暦7月3日、『おくのほそ道』の芭蕉と曾良はこの日、出羽国に入り、尾花沢の豪商鈴木清風を訪ねている。地元の俳人たちに歓待された二人はここに十日ほど滞在した。
 午後、●丸谷才一『新々百人一首』上下(新潮文庫)を拾い読み。暑気払いの読書に最適の本です。
 さて、朱雀子も明日から夏休みに入ります。しばらくブログはお休みします。みなさまコロナに気を付けて、どうぞいい夏をお過ごしください。
 写真下は1998年の記念講演会の冊子。 

IMG_6598 7月28日(木)晴れ。猛暑。新聞の訃報記事で山下惣一さんが亡くなったことを知った。享年86歳とあるのを見て、自分の歳を忘れてまさかと思ってしまった。私の記憶にあるのはまだ壮年時代の姿である。山下惣一さんは佐賀県唐津市で農業を営む傍ら、小説やルポを発表、土に生きる農民の目で(韜晦気味ながら)鋭い農政批判をした。減反政策が出た時も、コメを作らないのにお金を配るとは・・と嘆いたものだが、畑仕事もしたことのない人間がきれいごとを言うと全く相手にしなかった。自分の体験をもとにした小説がTVドラマ化されたときはいささか照れていたIMG_6599ようだったが。私が山下惣一さんを知ったのは1976年に出版された『二十三日間の中国』(六芸書房)という本で。これは山下さんが農業団体の一員として中国を視察したときの旅行記で、当時の中国は文化大革命が終わるころ。いまも覚えているのは、「中国では一日の仕事が終わった後も何かと集会があって、勉強したり、思想教育を受けたりと束縛されて大変だ。自分はとてもこんな国では生きていけない。全体主義はまっぴらだ」というようなことが書かれてあったこと。自由のない生活はごめんだ、と共感したのを覚えている。そうか、この本を読んでからもう40数年になるのだ。井上ひさしの生活者大学校で講師のようなことをしていると聞いていたが、井上ひさしさんとはよほどウマがあったのだろう。「身土不二」という言葉を教えられてから、私もできるだけ地産地消を心掛けている。『減反神社』『土と日本人』『ひこばえの歌』『村に吹く風』『いま、村は大ゆれ』など、久方ぶりに読み返してみよう。

 午後、四条烏丸のくまざわ書店で本をいくつか。ここには新聞の読書欄で紹介された本が並べてあるので、新刊書を選ぶのに便利なのだ。この日は平台に編集者・本づくりに関する本がたくさん積んであった。その中から津野海太郎・宮田文久『編集の提案』(黒鳥社)と三砂慶明『本屋という仕事』を購入。あと新書をいくつか。早く家に戻って本を読みたい、後の用事は忘れて早々に帰宅しました。
 写真はくまざわ書店の書棚。

IMG_20220727_164307 7月26日(火)晴れ。S子に誘われて映画「ベイビー・ブローカー」を観る。是枝裕和監督が韓国で撮った映画で、主演のソン・ガンホがカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞したことでも話題になった。赤ちゃんポストに預けられた赤ん坊を巡って、取り戻しにきた若い母親、赤ん坊の転売を目論む男たち、その転売屋を現行犯逮捕しようと張り込む刑事たち、赤ん坊の買い手を求めて母と子、男たちが車で移動していくところはよく出来たロードムービー。赤ん坊を囲んで町から町へ旅をする間に、車中のみんなが疑似家族のようなムードになっていくところ、悪人であるはずの転売屋が懸命に赤ん坊をあやす場面がなんともいえない。まさにソン・ガンホの面目躍如というところか。アカデミー賞を受賞した「パラサイト 半地下の家族」でも善悪を超えた不思議な演技を見せたが、この映画でもそう。悪人なのに憎めない、深刻なのにどこかおかしい、生きる哀しみというものを体全体で表している・・・まさに名優。人身売買という深刻なテーマをすぐれたエンターテインメントに仕上げた監督に賛辞を。滅多に映画館へ行くことはないのに続けて2つの映画を見た。どちらも重いテーマの映画だったが、先に観た「PLAN75」から受けた衝撃がまだ重く残っていて、この「ベイビー・ブローカー」からは軽やかな印象を受けました。
 夜、上洛した友人たちと賀茂川の床で食事。猛暑でしたが、日が落ちた後、潔川の川風は幾分涼やかでした。

IMG_6586 7月23日(土)晴れ。祇園祭後祭の宵山。祇園祭の山鉾は、もともとお神輿の先払いとして出るものだから、17日の神幸祭と24日の還幸祭に分かれて巡行していた。それがいつからか神幸祭に全部の山鉾が巡行するようになっていたが、近年、本来の形に戻そうということになって8年前から前祭に23基、後祭に10基の山鉾が巡行するようになった。おかげで2回、山鉾巡行を楽しめるというわけだが、その都度町の中心部が通行止めになって大変ではある。前祭ではあまりの人出に恐れをなして宵山見物に行かなかったが、後祭には露店も出ないことだしIMG_6588IMG_6591しは歩きやすいだろうというので、まだ明るいうちに散歩してきた。今年の話題は何といっても196年ぶりに復活した鷹山。三条新町の鷹山に着くと、そこだけもうすごい人で、厄除け粽や手拭を買う人の大行列ができていた。折角なので行列の後ろに並んで縁起物を購入、196年ぶりのカムバックお祝いということで。新町通には四条通の南に大船鉾、四条通の北に南観音山、北観音山、八幡山が立ち並んでいる。ここは老舗の呉服問屋や昔からの京町家が並ぶ風情がある町筋で、宵山に行われる屏風祭も見ごたえがある。この、家の中を開け放って飾りを見せる屏風祭を初めて見たとき、これは長崎くんちの庭見せだなあと思ったものだ。
 夏休みに入って頻繁に子どもたちの出入り有り。また自分もあちこち出かけて留守続き、明日から溜まった仕事を片付けなければ。まこと楽あれば苦あり、です。  
 写真上は新町通藤井絞の屏風祭。中左は同吉田家の屏風祭。右は北観音山。

 IMG_20220613_1309407月16日(土)曇り。昨日の朝、かかりつけ医のもとで4回目のコロナワクチンを接種。夕方から気分悪くなり早めに休んだのだが、今朝38度近い熱あり。平熱が35度6分くらいしかないので、37度を超えるともうぐったりなのだ。薬はのまず、おとなしく横になっていたら夕方には平熱に戻って元気になった。横になっている間にふと思い出して、ZOOMで長崎平和文化研究所の講演を聴く。講師は平野伸人さんで、海外被爆者についての話だった。この日は祇園祭の前祭宵山。TVで宵山中継を見たが、狭い一画に30万人もの人出があり、四条通が完全に人で埋まっているのを見てゾッとした。4回目のワクチン接種済みといっても、年寄りには敬遠したくなる光景だ。
横になっている間、福岡伸一『ゆく川の流れは、動的平衡』(朝日新聞出版)IMG_6574を読む。朝日新聞に2015年から2020年まで連載されたごく短いエッセイをまとめたもの。生命体はたえず細胞を分解し新しいものと交代している。この分解と更新の流れを著書は「動的平衡」と名付け、これが生命の定義だという。「ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず」、生命もまた同じようにたえず分解と更新を繰り返しているわけ。著者の関心は実に幅広く、科学者の目で語る森羅万象は興味深いものがあった。「科学の進歩を支えているのは科学者ではなく、むしろアマチュアである」という文によると、それが特に顕著なのは、昆虫の発見、彗星の発見、化石の発見の三つだという。福島県に住むある化石ハンターの高校生が発見した海竜の化石の話、断層に彼が見つけた化石はなんと全長7メートルもの巨大な海竜の化石だった。それはフタバスズキリュウと名付けられたという。少年の名は鈴木直。長じて大人になった鈴木直さんの講演を聴いた著者は、彼が「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」という与謝野晶子の歌を引いて話を終えたことを感慨深く記している。1ページに話が一つ、どこからでもするする読める。それが宇宙の話だったり、身近な自然の話だったり、美術、音楽、文学、軽やかでかつ明快、病中でしたが、実に楽しい読書でした。
 写真下は祇園祭宵山のTV中継画面。四条烏丸の長刀鉾辺り。通りは人で埋まっています。まさに立錐の余地なし。

IMG_20220726_175416 7月10日(日)曇り。中澤雄大『狂伝佐藤泰志 無垢と修羅』(新潮社)を読む。600頁もの大部だが一気に読了。佐藤泰志に関しては若い時からの友人、福間健二が書いた『佐藤泰志 そこに彼はいた』(河出書房新社 2014年)がある。早逝した作家の来し方や作品について詳しく記されていて、これ以上のものが出るとは思っていなかったが、『狂伝』を読み、ただただ圧倒された。著者の対象への思いの深さと何としても書きあげるのだという執念の強さに。新聞記者という仕事を辞してまで書きたかったというその情熱に。若い頃佐藤泰志の作品に出会って心惹かれ、以来ずっと注目していたというから、作家への愛は半端ではない。現役時代も佐藤泰志に関する情報を集め、関係者を訪ねては話を聞き、文字通り日本中を駆け回って取材を続けている。仕事柄、取材はお手の物だろうが、人から人へ関係者が繋がっていき、いろんな偶然も重なって貴重な話が聞けるくだりは優れたドキュメンタリーを見ているよう。5回も芥川賞の候補になりながら受賞を逃がし、1990年に41歳の若さで自死した作家。しかし彼が亡くなったあと、17年後に作品集が出版され、郷里函館の有志たちによって作品がいくつも映画化された。都会から遠く離れた地方の町で、心病んだり、身を寄せ合って生きている人々を描いた小説の数々は決して派手ではないが、いつの時代にも通じる青春の生きづらさが感じられる。若くして文才を認められた少年の、その後の必死の人生が作家を知る人たちによる詳細な証言によって、赤裸々に記されている。著者を信頼する遺族からは膨大な書簡や資料を提供されたという。作品から受ける印象とは違って、作家は激しい一面を持っていたようで、女性関係も数多、酔って暴力をふるう作家を家族は息をひそめて見ていたらしい。その結果が自死とはいかにも痛ましいが、作家にとっては作品がすべて、苦しんで書いた作品が死後も読み継がれ、ついにはこのような伝記が書かれたことを知ったら、本人はどう思うだろうか。「狂伝」、作家が狂ならその作家をここまで追求して書いた著者も狂、佐藤泰志に関して今後これ以上の本が出ることはないだろう。

IMG_20220726_175433 7月6日(水)晴れ。一昨日のブログに、日本史でいう古墳時代から奈良時代ごろまで北海道の網走あたりに暮らしていたモヨロ人のことを書いた。網走にある資料館を訪ねて彼らの生活の跡を見た印象を書いたのだが、住居の形や土器、埋葬の在り方などから、私にはまるで縄文文化だとしか思えなかった。今日、篠田謙一著『人類の起源』(中公新書)を読んでいたら、「日本列島集団の起源」という章にこのオホーツク人のことが出て来た。北海道は旧石器時代から縄文時代に移行したあと続縄文時代・擦文文化が続き、本土でいう奈良時代の終わりごろからアイヌ時代へ入っている。アイヌ時代になるとオホーツク人は消えてしまうのだが、「アイヌ集団の成立にオホーツク文化人が関係していることはほぼ間違いないと考えられています」とあって、多分両者の間で混合が進んだのだろうという私の推測は当たっていたようだ。以前、礼文島の歴史資料館で、島の船泊遺跡から出土した縄文人の骨から復元された女性の顔を見たことがある。この女性の骨からは核ゲノムに関する高度な情報が得られたそうで、縄文人と弥生人、現代人へと続く流れをつかむヒントがあったそうだ。この本は、古代人の骨からDNAを解読して遺伝情報(ゲノム)を手掛かりに人類の足跡を辿るという古代DNA研究、その成果をまとめたもの。30万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスがどのように全世界に広がっていったのか。旧人はどこへいったのか。謎解きの面白さもあります。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」というゴーギャンの絵のタイトルを引いて、人類が持つ根源的な問いにいかにして答えるか、研究者の意気込みが伝わりました。 
 

IMG_6151 7月4日(月)曇り。昨日は帯広から昼過ぎに戻り、釧路の町で買い物。子どもたちには帯広からお菓子を送ったが、北海道土産はやはり海産物だろうというので、市場からイクラやホタテ、サーモンなどの詰め合わせを送る。市場の人によると、今年はウニや昆布が不漁だろうとのこと。サケの代わりにブリが穫れるというので、みんな戸惑っているそうだ。毛ガニや花咲ガニが出ていたが、どちらも扱いにくいので却下。昨日は日曜日で店はほとんど休み。釧路市長はしきりに観光客を誘致していたが、日曜日に食事処が休みという不便さを解消するのがIMG_6054先ではと思ったことだ。幸い私たちは前日から予約していた店に入ることができたので、釧路最後の晩餐を楽しむことができた。食事中、何組もの客がやってきたが、みんな満員で断られていた。日曜日の釧路の町には食事難民が溢れている。  
 午後の便で伊丹へ到着。飛行機を出た途端、サウナのような蒸し暑さにギョッとする。20℃、湿気無しの釧路から38℃、湿気有の京都へ。やれやれ一瞬で現実へ戻りました。
旅のお供に洲之内徹の『気まぐれ美術館』と津野海太郎のIMG_6544『最後の読書』を持参しましたが、10日間の旅の間、とうとう開くことはありませんでした。こんなことは珍しいのです。
 写真上は女満別のメルヘンの丘。中はいまを盛りと咲いていたハマナシ。皇后雅子さんのお印ですね。下はこの日の朝、ホテルのロビイの掲示板。気温16度~22度。釧路の日の出は午前3時49分。3時半にはもう明るいのです。いかに早起きの私でもびっくりでした。 

IMG_6458 7月2日(土)晴れ。帯広行。北海道の友人に案内されて帯広へも来たことがあるが、友人の車で運ばれただけだったので、町の様子などほとんど記憶にない。あの当時話題になっていた花畑牧場に寄ったのを微かに覚えているだけ。釧路から帯広まで約120キロ、ほとんど対向車に会わない国道38号線を西へ向かう。途中、道路脇に座り込んだキタキツネを見かける。周りは延々と緑の畑。標津辺りの畑ではジャガイモと小麦、ビーツの3種類しか見なかったが、ここではトウモロコシや豆類も見かけた。防風林に囲まれて畑は実によくIMG_6463手入れされている。はるか遠くまで続く畝に、農機具なしにはできないなあと溜息がでた。帯広では六花の森と中札内美術館、帯広野草の森へ行く予定。六花の森は広大な土地に季節の花が咲き、山岳画家坂本直行の作品を展示した小さな美術館がいくつもある。坂本直行は北海道大学の農学部を出た後、開拓民として南十勝に入植、絵を描きながらさまざまな文化活動を続けた。幕末の志士坂本龍馬につながる人だそうだ。この人が描いた花の絵の包装紙に包まれた菓子は北海道土産の定番の一つ。近くにある中札内美術館も六花亭が運営IMG_6519していて、ここには安西水丸や小泉淳作などの作品を展示した小さな美術館が緑の森の中にいくつも建っている。小泉淳作は京都の建仁寺の天井に二龍の画を描いた人、その下絵やアトリエが展示されていた。 
 帯広は釧路に較べると活気があった。週末で若い人達が町に出てきているせいかもしれない。道内で人口数が5番目だった釧路が最近帯広に抜かれたというので、釧路の人たちはがっかりしていた。ちょっと前まで北海道の人口は札幌(197万人)、旭川(33万人)、函館(25万人)、苫小牧IMG_6533(17万人)、そして釧路(16万人)という順序だったが、帯広に抜かれて釧路は6位となった。かつて22万あった釧路の人口は近年減る一方とのこと。確かに釧路の町の寂れようといったら・・・。町に人がいないのは、北海道の人はどこへ行くにもマイカーを使うため、ドアツードアで道路を歩くことはないのだとのこと。
 帯広の野草園は美術館などがある広い公園の一画にあった。開発によって消えていく帯広の自然を残すため設けられた園というだけに、中は本当に自然のまま。いろんな野草が咲いていて楽しめたが、大きなやぶ蚊がまとわりつくのには参ってしまい、道半ばでリタイア。軟弱なわが身を恨めしく思ったが、再訪を期して退場。帯広にはたくさん花の美しい庭園があるらしいから次はそこにぜひ。  
 今夜は帯広泊、夕食はホテル近くの居酒屋で地元の肉や海産物をいただく。北海道では肉牛の生産が盛んだが、道民が愛するのは豚肉やジンギスカンの羊肉らしい。店を出るとすぐ隣に屋台村があって、どの店も若い人たちでいっぱいだった。
 写真上は中札内美術館の安西水丸ミュージアム。中上は小泉淳作美術館の中にある再現された画家のアトリエ。中下は帯広野草園。下は帯広駅前広場。鹿の像といっぱいに花をつけたシナノキが印象的でした。

IMG_6355 7月1日(金)晴れ。野付半島へ行く。ここは根室半島と知床半島の中ほどにある全長26kmもの日本最大の砂嘴。ラムサール条約に登録された自然豊かな湿地帯で、野鳥の楽園とも言われている。3年前に初めて訪れた時、はるかに広がる遠浅の海を見て、これはまるで諫早の干潟だと思った。その時もエゾカンゾウが一面に咲いていたが、この日も黄色い花が咲き拡がり、その間にハマナスやセンダイハギの花も見えた。ここは海水に侵食され立ち枯れたトドマツが並び立っているので有名だが、潮流の関係で砂嘴の形も変わり、トドワラと呼ばれる枯IMG_6383木も姿を消しつつある。その代わり、別の場所にナラノキの立ち枯れが目立つようになって、将来はトドワラではなく、ナラワラが有名になるのではないか。この浅い海ではホッカイシマエビの漁が盛んで、漁に使われる打瀬船が名物。この日は船の姿はなく、風情ある打瀬船の姿を見ることができなくて残念。豊かに広がる野付の海を見るにつけても、いまはもうない諫早湾の干潟が思われてならない。豊穣の海とはまさにあの干潟の海のことだったが。
 写真は野付半島の海と立ち枯れたナラノキが並ぶナラワラ。

IMG_6212 6月30日(木)晴れ。昨日は小雨の中、知床まで出かけて知床五湖のほんの一部を歩いてきた。以前友人と来たときは船に乗り岬の方まで行ったのだが、今回はパス。世界遺産になったあと、ウトロの港には新しい道の駅や店舗ができてすっかり変わっている。以前、ホッケを食べた食堂はどこかしらと見まわしたが、見当たらなかった。知床は遊覧船の事故で来る人が減ったということだが、それは仕方がない。道の駅で昼食をとり、知床五湖のほんの一部を歩いたのだが、ガイドの若い男性からも一緒に歩いた旅客たちからもあの事故IMG_6265IMG_6297を悼む言葉が聴けなかったのが残念。私は小雨に煙る知床の海に手を合わせてきた。知床には立松和平らが建てた毘沙門堂がある。いつか訪ねようと思いながら素通りしてきた。今回も立ち寄らないまま釧路に戻ったのだが、つい4日ほど前、ここで例祭が行われ、京都や奈良から僧侶たちが参列したという。平和祈念と同時に観光船事故の犠牲者の慰霊も行われたそうだ。
IMG_6306 今日は根室半島を納沙布岬まで行く。今朝は前日と打って変わって快晴。国道44号線を東へ走り、納沙布岬へ。空は晴れているが海には靄がかかり国後島も歯舞諸島もうっすらとしか見えない。ロシアのウクライナ侵攻により、この辺りでは漁業や人の行き来に大きな影響があるのではないか、国境の海を見やりながら何ともいえない気分になる。北海道と沖縄、日本の北と南ではまだ戦後が続いている・・・ 
 帰りは海沿いの道を戻る。途中、霧多布湿原に寄り、さらに進んで厚岸の原生花園あやめ原で満開のヒオウギアヤメにIMG_6337会う。京都では会えない風景に胸がわくわくする。これこそ旅の醍醐味なり。
 写真上はホテルのロビイで、この日の最低気温は15℃、最高気温は19℃の予想だった。中左は納沙布岬の標識。右は霧多布湿原に一面に咲いたエゾカンゾウ。中は霧多布湿原。下は原生花園あやめ原で。放牧された馬が元気に走り回っていました。
   

IMG_6092 6月28日(火)承前。小清水は知床半島の付け根近くにある。ここには広い原生花園があって、いまはハマナシやフウロソウ、アヤメ、エゾカンゾウなどが咲いていた。花に会うのがいちばんの楽しみ。羅臼岳をバックに花園をパチリ。ここから網走まではすぐ。JR網走駅にモヨロ人がいたので、またもやパチリ。話のタネにと博物館網走監獄に寄り、明治時代から使われてきた建物や設備などを見学す。獄舎には至る所に人形がいて、それが本物そっくりなので、ギョッとする。脱獄王といわれた囚人は獄舎の廊下天井にぶらさがってIMG_6123IMG_6147いて、これにも驚かされた。彼らが硫黄山で硫黄の採掘をしたり、道路や鉄道設営の作業に従事したと聞いて、さぞ酷使されたことだろうと同情してしまった。なにしろ極寒の地なのだ。監獄の敷地内は花が咲き乱れ、いまは天国のような趣。見学者は多く、土産物店にもいっぱいの人だったが、私はもう来ることはないだろう。
 帰り美幌峠で真っ白の霧に包まれたが、用心しながら峠を降りるといつの間にか霧は晴れて、屈斜路湖がわずかに見えた。
 写真上は小清水の原生花園。後ろの山は知床半島の羅臼岳。下はJR網走駅。モヨロ人が立っていました。下右は網走監獄。  

IMG_6113 6月28日(火)曇り。志賀直哉ではないがこの日は「網走まで」。ずっと前から気になっていた網走のモヨロ貝塚を訪ねる。モヨロ貝塚のことは北海道大学の博物館で知った。日本史でいう古墳時代から奈良時代の初めごろまで、網走に暮らしていたオホーツク人が遺した貝塚で、彼らはその後姿を消したというので一度訪ねてみたいと思っていた。モヨロ人と呼ばれる彼らは北からの渡来民族で、オホーツク文化と呼ばれる独特の文化を持っていた。その跡が貝塚や墓、住居跡として遺されている。港のそばにあるモヨロ貝塚館には復元された墓域や住IMG_6110居が展示されていて、1300年前、この地で暮らした人々の姿を想像することができた。竪穴式の住居や土器を被った死者の姿などから私は縄文文化を連想した。彼らが姿を消したのは、その後アイヌの人たちと交わっていったからではないかと思う。館の庭には真っ白な蝶が群れていて、係の人に尋ねると、エゾシロチョウといって今年は異常発生しています、とのことだった。館の近くに「金田一京助」の名を刻んだ石碑を見かけたが、通り過ぎてしまった。
網走へ行く途中、小清水という道の駅で休憩したが、ここはIMG_6073釧網本線の駅と同居していて、売店の裏がホームという造り。ルピナスが咲くホームで待っていると、釧網本線の列車が一両でやってきた。ここはまだ電化していない(鉄道好きの友人がいうところの妃殿下)ので、なんとものどか。小清水駅から十人ばかりが乗り込むと、ゆるゆると出発。釧網本線は人気があるらしく、外から見る車内は結構な人であった。
写真上はモヨロ貝塚の碑。中は異常発生しているエゾシロチョウ。下は小清水駅で見かけた釧網本線の車両。
   

IMG_5994 6月27日(月)晴れ。釧路湿原行。道中、タンチョウやキタキツネ、エゾシカなどを見かける。エゾシカは至る所にいる。道沿いに真っ白の葉をつけたマタタビが目立つ。白い部分は日が経つにつれてピンクになる。北海道の樹々はまだ新緑、草原も畑も黄緑で眩しいほど。前に来たときは湿原の東側にある細岡展望台から釧路川が蛇行する湿原を眺めたが、今回は西側にある展望所へ向かう。この日は湿原ガイドの案内で、サテライト展望台まで木道を歩いて行く。周りは一面大きなアキタブキと笹の原。所々にマムシグサの花があるくらいで、樹木はIMG_6011ハンノキ、カシワ、ミズナラ、ホオノキなどが目立つ。展望台から見る湿原は広大。道東はどこへ行っても湿原だらけ、それがまだ手つかずで残っている。だが広大な牧草地や畑を見るにつけても原生林を切り拓いてきた人々の苦労が思われてならない。もう40年くらい前に読んだ本多勝一の『北海道探検記』(集英社文庫)を思い出す。釧路湿原のあと、阿寒湖へ。ここの売店でTシャツを買い、汗で濡れた服と着替える。阿寒湖では船に乗り、マリモを展示しているチュウルイ島へ渡る。島へ渡る途中、湖の奥にボートをIMG_6033浮かべて釣りをしている人を見かける。その姿がTVの映像で見た晩年の開高健の姿に似ていて、あんなふうに幻の魚といわれるイトウを釣っていたなあと思う。
 この日は私たちの結婚記念日。子どもたちからお祝いのメールやラインあり。釧路に戻り、ホテル近くの店で乾杯。お互いの両親は既に亡く、私たちを守ってくれた年長者は多くが鬼籍に入った。いまや自分たちが次の世代を守る側になった、彼岸に渡るまで、いましばらく元気で世の中を見ていたいと思う。
 写真上は広大な釧路湿原。中はタンチョウ。下は阿寒のマンホールふた。 

IMG_5965 6月25日(土)曇り。3年ぶりに北海道へ出かける。今回は道内でも気温が低いといわれる釧路に滞在し道東を廻る予定。コロナはまだ収束していないが、広い北海道の方が安全ではないかと屁理屈をつけて空路釧路へ。幣舞橋近くのホテルにチェックインしたあと、大通りを歩いて近くの釧路市中央図書館へ。駅前から続くこの大通り、メインストリートなのだが、全く人影無し。図書館は銀行がある大きなビルの中にあり、館内は静かなこと。ビル6階にある釧路文学館には釧路ゆかりの文学作品が紹介されていて、ここで一番目立つのはIMG_6436、この町IMG_6439出身の二人の作家、原田康子と桜木紫乃に関する展示コーナー。『挽歌』と『ホテルローヤル』で知られる二人の作家が詳しく紹介されている。原田康子は故人だが、桜木紫乃は現役で今後も話題作を書き続けることだろう。展示された同人誌の数の多さを見るにつけても、文学運動の盛んな土地ではないかと思ったことだ。作家を育んだ風土というものが思われた。  
 夜は港近くにある炉端焼きの店(岸壁炉端)でエビやホタテ、ホッケなどの魚介類をいただく。店内は地元の人に交じって観光客が半分くらいか。釧路は世界三大夕焼けで有名だそうだ。日の入りは午後7時ごろ、その時間に外へ出て、夕焼けを撮影しました。  
 写真上は釧路市中央図書館の「釧路文学館」内にある原田康子と桜木紫乃のコーナー。下左は釧路港の夕焼け。右は幣舞橋に立つ佐藤忠良作の少女像。ここには春夏秋冬と四季の名がつけられた少女像が立っていて、これは「夏」。隣には舟越保武作の「春」があります。

IMG_20220727_163718 6月22日(水)雨のち晴れ。今年カンヌ映画祭で新人監督に与えられるカメラドールの特別賞を受賞した「PLAN75」を観た。演出・脚本は早川千絵監督。タイトルのPLAN75とは、超高齢化社会を迎えた近未来の日本で、75歳以上の高齢者が自分の生死を選ぶことができるという制度のこと。主人公は78歳になる女性で、ホテルの清掃員をしながら独居を続けている。しかし失職したうえにアパートの退去期限が迫り、追い詰められた彼女はPLAN75を申請することになる。役所の窓口となる若い職員や、PLAN75の施設で遺品処理の仕事に就くフィリピン女性など、それぞれが屈託を抱えて生きる姿が淡々と描かれる。設定は異常なのに、映像はあくまでどこにでもある日常を静かに描いたものだけに、あり得ない話ではないなあと思われたことだ。住まいも仕事も家族IMG_20220622_160225も持たない高齢者が追い詰められるのは近未来ではなく、いま現在のことなのだ。役所の若い職員やカウンセラーの若い女性が高齢者の心に寄り添う姿に救いを覚えたが、現実に戻って「人生100年」などと浮かれている場合ではないと思ったことだ。増加する一方の高齢者が医療制度を圧迫しているとか、介護制度を破綻させるのではなどというが、そのために何度も増税をしたのではないか。そもそも予算の使い方を間違えているのではないか、と思ってしまう。この映画、78歳の女性を演じた倍賞千恵子がいい。顔のシワもそのまま、全編ほとんど素顔だが、人間の尊厳を感じさせる美しさに打たれた。久しぶりの映画館はシニア客でいっぱい。みんな身につまされたのではないかしらん。  
 帰りて●内田樹『戦後民主主義に僕から一票』(SB新書)を読む。これまで書かれた文章をピックアップして編みなおしたもの。社会評論なのに少しも古びてないのは、世の中がそんなに変わっていないせいか。帯に「この国に絶望しないための21の論考」とあるように、この国の在り様や政治、憲法、教育について実に分かりやすく説いてある。二度目の敗戦を招かないためには、『「過去の失敗に学べ。歴史から学ばないものに未来はない」という半藤一利さんの遺言を私たちは重くうけとめなければならない』という下りなど、共感するところ多し。この人の文章は一筋縄ではいかない曲折があるが、この本ではそれがなりを潜めてストレートなのがいい。n'est-ce  pa?

IMG_4924 6月20日(月)晴れ。日経新聞に10回にわたって連載された写真コラム「時代を映す図書館建築」が終了した。明治時代につくられた大阪・中之島図書館を筆頭に当時の名建築家が手掛けたデザイン性の強い図書館が紹介されている。中之島図書館の他は、京都府立図書館、国際子ども図書館、神奈川県立図書館、山口県立図書館、北九州市立中央図書館、金沢市玉川図書館、福井県立図書館、みんなの森ぎふメディアコスモス、太田市図書館。最近は隈研吾設計の図書館が話題になっているが、この10館の中にはなかった。川本三郎さんはいい町の条件に「おいしい豆腐屋があること」「いい銭湯があること」「いい古本屋があること」の三点をあげているが、私は銭湯の代わりに「いい図書館があること」をあげたい。旅先ではできるだけその町の図書館を訪ねることにしているのだが、最近はどんなに小さな町の図書館でもわが京都のそれより素晴らしいことが多く、羨ましいやら、哀しいやら。この記事にある10館はあくまで時代を反映した建物ということで選ばれたもの、利用者の立場で選ぶなら、また違う顔ぶれになるだろう。
 写真は金沢市玉川図書館。建物の端正なたたずまいが好き。谷口吉郎・吉生父子による設計建築で、1979年に開館。金沢へ行ったときは必ず立ち寄る場所の一つ。金沢にはこの夏、新しい県立図書館が誕生する予定で、町でも話題になっている。最近の新しい図書館はまるでアミューズメントストアのよう。人が集まり楽しく過ごす場になるのは嬉しいが、主役の本を忘れないでほしいもの。
 写真には写ってないが、玉川図書館には隣接して赤レンガ造りの近世史料館がある。印象的なこの史料館は大蔵省が建設したたばこ工場だったもの。谷口父子の出身地であることから、金沢には2年前、谷口家の跡地に「金沢建築館」が開館した。鈴木大拙館など、金沢には魅力的な建物がたくさんあって、町あるきの楽しみの一つになっています。

IMG_5938 6月18日(土)晴れ。朝、九州のTさんより電話あり、森崎和江さんが亡くなられたことを知る。6月15日、享年95歳。もうずいぶん前になるが、森崎さんから届いた葉書の文字が以前と違って力が無いようなので案じていたら、誰かから「森崎さんがずいぶん弱られて・・」と聞いて納得したことがあった。その時も教えてくれたのはTさんではなかったか。お会いしたのはもう30数年も前のことだが、柔らかな笑顔には甘えたくなるような優しさがあった。彼女の作品では『からゆきさん』が有名だが、『闘いとエロス』や『慶州はIMG_20220616_103652母の呼び声』、『ははのくにとの幻想婚』、『悲しすぎて笑う 女座長筑紫美主子の半生』などが印象に残っている。『闘いのエロス』(三一書房 1970年)はサークル村のことを書きたいと言っていた松下竜一さんにプレゼントした。結局、松下さんはサークル村のことを書かないまま亡くなったが、サークル村については確か松原新一さんが何かに書いていたと思う。サークル村の仲間では石牟礼道子さんに続いて森崎さんも亡くなったが、河野信子さんはお元気なのだろうか。確か森崎さんと同年のはず。大先達たちがいなくなるとその時代が遠くに去ってそのうちに記憶から消えてしまうのではないかと心細くなる。読み返して記憶を再生するしかないのだろう。
 写真は散歩の途中で見かけた喫茶店。掲示板に「関西で唯一映画好きの集まる店」とある。店名の「カフェ・セバーグ」は女優のジーン・セバーグからかしら。店主が好きなのだろう。掲示板には店を訪れた映画監督の写真などが貼ってあった。今度ゆっくり訪ねてみよう。

IMG_20220620_063437 6月16日(木)曇り。河原町三条にある古書店京阪書房がこの週末に閉店するという。主に歴史や国文学、全集物を扱う店で、私はここで大日本古記録の『御堂関白記』(全3巻)や『小右記』(全11巻)を買った。私が京都に来た頃、河原町にはたくさんの書店があった。四条通から三条通の間に、新刊書店や古書店がざっと十数軒はあったが、いつの間にか大半が消えてしまった。京阪書房は古色蒼然とした店構えで頑張っていたのだが、店主の高齢化でやむなく閉店を決めたという。創業は1929年と言うからほぼ一世紀になる。昭和30年代には京都に住んでいた谷崎潤一郎がよく通っていたそうだ。去年は寺町にあった三月書房が閉店し馴染みの本屋は減る一方。だが若い店主による個性的で魅力的な書店(古書店も含めて)がたくさん生まれていて、京都の書店巡りはまた新しい展開をみせている。大きい店には何でもあるが欲しいものはないという不満が、新しい小さな店にはない。自分の好みに合う書店があれば、そこが書斎代わりになる。(以前の三月書房がそうでした)最近は出歩かないので本屋巡りからも縁遠くなりました。   
 ●ミシマ社から出ている雑誌「ちゃぶ台」8号を読む。三島社は京都にある出版社。ここも個性的な本を出していて、最近は藤原辰史さんの本など話題になった。「ちゃぶ台」は生活者のための総合雑誌をうたっていて、執筆者も先の藤原辰史をはじめ益田ミリ、津村記久子、中島岳志、土井善晴などバラエティに富む。仲間との雑談を活字にしたような、読者もいっしょに考える賑やかな雑誌です。  
 写真は我が家の書棚にある『御堂関白記』と『小右記』。

IMG_20220616_110202IMG_20220616_104212 6月15日(水)雨のち曇り。近畿地方もいよいよ梅雨入り。曇り空の下、久しぶりに近所を散歩。家籠りで歩く機会が激減し、情けないことに100メートルも行かないうちに息切れす。「運動不足は諸悪の根源」というかかりつけ医の言葉が聞こえるよう。いまだとあの辻にヤマボウシが、あの家の前に白いネムの花が、などと花に会うのを楽しみに(わが身を励ましながら)歩く。お目当ての白いネムノキの花は終わっていたが、ハンゲショウやブラックベリーの実に会った。エンジュ(槐)の花も咲きだした。二条城の北側で長く工事が中断していた外資系ホテルの新築工事がこの秋にも再開されるという。この通りには西洋トチノキの並木があったのだが、いつの間にか全部消えて、いまはハナミズキに植え替えられている。トチノキの並木は独特で好ましかったのだが。コロナのせいかいつの間にか消えた店、また新しくできた店など、通りの様子が変わっているのに気づく。よろよろ歩く私を後ろから来た修学旅行の生徒たちが元気よく追い越していく。  
帰宅後●笹山晴生『古代をあゆむ』(吉川弘文館)を読む。日本古代史と飛鳥、地域史と日本・アジア、東北の古代社会などについての論考などがあるなかで、私が興味深く読んだのは、学生のために書かれた「古代の史料を読む」の項。古代史を学ぶということは、基礎的知識と修練、古代の史料についてなど、初歩的な心構えが記されていて教えられた。
  写真は散歩の途中で見かけたハンゲショウ(半夏生)とブラックベリーの実。

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