IMG_8922 11月16日(木)晴れ。京都の今朝の気温は8℃。今月初め、正倉院展を見に奈良へ出かけた日の気温が29℃だったことを思うと、まさに夏から一足飛びに冬、という感じ。昨日、慌てて厚手のセーターなどを出した。
 先月22日、神戸で開催されたJazz centennial のことを書いておこう。神戸で初めてJazzが演奏されて今年で100年になるのを記念して開催されたもの。神戸にはジャズのライブハウスが多く、「神戸ジャズ・ストリート」という長く市民に愛されているイベントもある。だが、ジャズファンにとっては、こんな楽しい演奏会はいくつあっても歓迎なのではないか。22日は京都の時代祭だったが、一日、神戸の街でジャズ三昧を楽しんできた。演奏会場は三宮駅近く、旧居留地から市役所周辺の一帯に何か所もあって、歩いて回るのに適度な距離。演奏家はプロからアマチュアまで、ビッグバンドあり、アコースティックバンドあり、歩きながら音が流れる方へといくつもの演奏会場をはしごしてきた。神戸はお洒落な町で、ジャズがよく似合う。去年の秋、横浜へ出かけたら、ちょうどジャズプロムナードが開催中で、思いがけずストリートジャズを楽しむことができた。その思い出があったので、神戸でもと期待して出かけたのだ。写真は駅近くのビルで演奏中のトリオ。「All of me」など、スタンダードナンバーを情感たっぷり聴かせてくれました。
 ジャズミュージックはタイトルがいいですね。「I can't get started(云い出しかねて)」、「out of this world(この世の外に)」・・・。

line_536446055463629 11月14日(火)晴れ。朝は灰色の雲が重く垂れこめていたが、ホテルを出るころは青空が広がるいいお天気となった。この日は前日素通りした宮津の町と天橋立へ行くことに。なにしろセンチメンタルジャーニーならぬ幼児のころの旅のおさらいをしたいというのがJ子の希望なので。宮津の町ではいつも立ち寄るカトリック教会(聖ヨハネ天主堂)へ行ったのだが、教会の扉が固く閉ざされていて中へ入ることはできなかった。この教会は1896年の建築で、現在もミサが行われる教会としては日本最古のもの。(日本で最も古い教会は長崎の大浦天主堂だが、ここではもうミサは行われていないので)。初めて訪ねたとき、床が畳敷きなのに驚いたものだ。教会の裏手に細川ガラシアの像がある。1580年、丹後の領主となった夫細IMG_9047IMG_9039忠興と共に宮津に来たガラシアはこの地で幸せな月日を送ったという。この像は彼女の生誕450年の年(2013)に建てられたもの。ちなみに台座に彫られた「祈り」の文字は忠興の子孫である細川護熙の書。
 天橋立は外国人観光客で賑わっていた。コロナで閑散としていたころの面影は全くない。股覗きしながら笑い合っている外国人ツーリストたちを見ながら、複雑な心持になる。
 写真上はこの日の朝、天橋立に立つ虹。「虹を見ると私の心は躍る・・」という詩があった。「虹の橋づめには金の壺が埋められているそうな」と書いたのは大庭みな子(『虹の橋づめ』)。平安貴族は虹が立つのを兆としたそうだが、私の心は虹を見ると躍る・・です。写真下は昨日と反対側から見た天橋立。手前にある智恩寺は日本三大文殊堂の一つです。境内に松茸を売る店が出ていました。(寺町のとり市のと比べるとうんと安かった!)

IMG_9001 11月13日(月)雨のち曇り。日曜日、埼玉から姪がやってきた。なんでも東寺の特別公開を見に来たという。目的は空海が最澄に宛てた書「弘法大師尺牘」(風信帖)で、書をやる人なら誰でも知っているものだという。図録で国宝の「風信帖」を見せてもらう。先年、京都国立博物館で開催された「最澄と天台宗のすべて」展で最澄の書をいくつも見た。律儀そうな文字だなと眺めた中に最澄が空海のもとで修業していた弟子の泰範に宛てた手紙「尺牘」(久隔帖)が印象に残っている。図録を並べて最澄・空海の書をとみこうみする。私など1200年もIMG_9025前の墨のあとに感動するばかり。
 彼女の希望もあり、丹後へ出かけることに。子どもの頃行ったことがあるらしいがほとんど記憶にないというので、天橋立へ向かう。この日は朝から雨、途中、霰が降ったと思えば雲の隙間から陽が射したりと空模様の変化の目まぐるしいこと。それでも伊根に着く頃は少し空が明るくなったので、伊根湾巡りの船に乗る。カモメの群れが船の周りを飛び交い、それは賑やかなこと。港には海外からの観光客を乗せた観光バスが並んでいた。舟屋で知られる伊根は「海の京都」の魅力でツーリストを集めているらしい。この日は昼もカニ、夜もカニ、日本海の味を満喫しました。
 写真上は舟屋が並ぶ伊根。下は笠松公園から見た天橋立。笠松公園は天橋立の北側にある。麓に丹後一宮元伊勢籠(この)神社があり、ここに伝わる海部氏の系図は我が国最古の系図として国宝に指定されています。近くには丹後国分寺跡や郷土歴史資料館があるのだが、月曜日でお休み。数年前、ここで与謝蕪村の屏風絵を見たのを思い出しました。 

IMG_20231106_102017 11月12日(日)曇りのち雨。朝夕のTVニュースを見るのが辛くてならない。毎日いちばんにガザの様子が映るのだが、無垢の子どもたちが泣き惑う姿が映るたびに胸が搔きむしられる思いがする。ウクライナでも同じことが起きているのだが、本当にこれが人間のやることなのか。第二次戦争の時、ユダヤ人迫害をしたドイツはその反省からこの度の戦でもイスラエルの肩を持つらしい。だがどういう理由があっても無抵抗の市民を虐殺することは許されない。「人間は歴史に学ばないとつくづく思い知らされた」とMさんに電話で嘆くと、敬虔なカトリック信者の彼女が「この度ばかりは、神様は本当にいるのかしらと思った」と。
 午前中、四条烏丸まで歩いて行く。のろのろ亀のような歩みで30分、買い物ついでの散歩だが、医者に厳命された一日分のノルマは果たした(ので帰りはバスに乗る)。歩きながら目についた樹々や花をパチリ。家々の前に咲いた貴船菊。見事な色とりどりの嵯峨菊。今年の紅葉はずいぶん遅れそうだが、道中見かけたモチノキは真っ赤な実をつけていた。  
 昨日は大津市の義仲寺で芭蕉忌が行われたのではないかしら。芭蕉の命日は旧暦10月12日で、毎年11月第2土曜日に同寺では時雨会と称する供養と句会が行われている。一度覗いてみたいと思いながらまだ実現していない。今日、『漱石・子規往復書簡集』を読んでいたら、明治28年に漱石から子規への手紙の中にこんな句があった。
「芭蕉忌や茶の花折って奉る」(漱石)。

IMG_8675 11月11日(土)曇り。新聞で滋賀県湖南市にある石部図書館が来春閉鎖されることを知った。同じ市内にある甲西図書館に集約されるとのこと。各地で市町村合併が続いたとき、いつかこんなことが起こるのではないかと危ぶんだものだが。この夏滞在した山梨県北杜市は7つの町村が合併して生まれた市で、市内には8つの図書館がある。私が一番利用したのは大泉にある「金田一春彦記念図書館」だが、最近聞いたところによると、北杜市でも図書館の集約が進んで、近い将来、大泉と須玉、長坂の3図書館を残して残りの5つの図書館はなくなるとのこと。旧町村にあった図書館を利用していた人たちはさぞ不IMG_8685便になることだろう。話を戻して滋賀県は図書館の先進地で、かつては全国から有能な図書館員が集まっていた。甲西図書館へも見学に行き、理想の図書館を語る職員の熱意に圧倒されたものだが。
 写真は金田一春彦記念図書館。下は館内にある「色川大吉著作コーナー」。社会学者の色川大吉さんは晩年、北杜市に移住し2021年、96歳で亡くなるまでこの地で暮らした。一時期は連絡先をこの図書館にしていたそうだ。最晩年は隣家に住む上野千鶴子さんに介護責任者になってもらい、看取りも彼女にしてもらったという。今月出る彼女の新しいエッセイ集『八ケ岳南麓から』(山と渓谷社)に詳しく書かれているのではないかしら。



IMG_20231110_102428 11月10日(金)久しぶりの雨。S子に誘われて下鴨にある旧三井家別邸の朝食会に行く。ここは戦前まで三井家の別邸で、戦後は京都家庭裁判所の所長宿舎として使われてきた。もとは木屋町三条に1880年に建てられたもので、明治の終わりごろ現在地に移築されたそうだ。木造4階建てで、最上階の望楼からは360度の眺望あり。この邸が一般公開されるようになってからまだ10年も経っていないと思う。季節ごとにいろんな催し物をやっているようで、たまたま朝食会の案内を見かけたS子に誘われたもの。例年ならもう紅葉が美しい時期なのだが、今年はまだ庭に色づいた樹々は見当たらない。池の畔の萩が少し黄ばんでいる程度か。庭にはムクやエノキの大木がいくつもあって、古い京都の植生を見ることができる。2階の部屋で庭を見下ろしながら精進料理をいただいた。4階の望楼で若い案内人の女性が「向こうの山が大文字山で、お盆には大文字焼きがきれいに見えます」というのにはがっかり。後でS子がそっと彼女に「京都で”大文字焼き”はNGワードですよ」と言うと「へえ、そうなんですか」と驚いていたそうだ。私も以前、大文字焼きといって京都の友人から軽蔑されたことがあった。「焼きなんておまんやあるまいし。あれはお精霊さんを西方浄土に送る大文字の送り火どす」。
 夜、大阪に住む同窓生のMさんから電話あり。京都在住のHさんも誘って早めの忘年会をしませんかという提案。二人と最後に会ってからもう数年になるのではないか。コロナのせいであちこち空白だらけ。無理をしてでも会いたい人には会える時に会っておかなければ、という年齢になりました。

IMG_8860 11月8日(水)晴れ。先だって博多へ出かけたとき、駅ビルにある丸善書店に立ち寄ったら、こんなコーナーがあった。「追悼 野見山暁治さん」。隣には「追悼 原寮さん」の棚もあった。原寮が今年5月に76歳で、野見山暁治が6月に102歳で亡くなったのはまだ記憶に新しい。中段には去年の7月に亡くなった山下惣一さんの『振り返れば未来 山下惣一聞き書き』もあって、さすが地元九州と思われたことだ。ここで●林哲夫編『喫茶店文学傑作選』(中公文庫)、●倉本一宏『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』(NHK出版新書)を購入。帰りの新幹線の中で読了す。『喫茶店文学傑作選』には、植草甚一「東京に喫茶店が二百軒しかなかったころ」や澁澤龍彦「戦前戦後、私の銀座」などと共に、野呂邦暢のエッセイ「昔はひとりで・・・」が収められている。ほかに洲之内徹や山田稔など、編者の好みが窺えて楽しい。『平安貴族とは何か』は来年のNHK大河ドラマ「光る君」の時代考証を担当する古代史学者による古記録入門書。ドラマの主人公紫式部と同時代を生きた貴族たちの日記が伝わっていて、当時の様子がリアルに読み取れるのだ。ここでは藤原道長の『御堂関白記』、藤原実資『小右記』、藤原行成『権記』という同時代に書かれた三つの日記が紹介されていて興味深い。私は20年ほど前に『御堂関白記』と出会い、その後『小右記』を読み、いまも平安古記録を楽しく読み続けている。紫式部は『源氏物語』の中で、「日本紀などは、ただ片そばぞかし。これらにこそ道々しく委しきことはあらめ」(「蛍」)として、歴史書などよりも物語のほうに真実が描かれている、と言っている。虚構でしか描けない真実があり、そこが文学の魅力だと私も思うのだが、古記録を読んでいると当時の様子がおぼろげながら想像できて愉しい。病みつきになります。 

IMG_20231102_121956 11月2日(木)晴れ。朝8時55分京都発の近鉄特急電車で奈良行。車内の8割が外国人ツーリストなのに驚いたが、奈良駅に着いてさらにびっくり。京都で見慣れているものの、駅前に溢れる外国人にたじたじとなる。この日は夏日になるとの予報だったので、コットンのシャツにジャケットを羽織ってきたのだが、外国人ツーリストたちは半袖Tシャツ、女性はノースリーブのタンクトップという真夏のスタイル。奈良公園では様々な言語が飛び交う中、鹿とたわむれる彼らの姿に、「奈良時代にも、海外からはるばるやってきた異国の人たちがこんなふうに憩っていたのかも」と思ったことだ。  
 正倉院展は今年で75回目。正倉院宝物は、光明皇后が東大寺の大仏に献納した聖武天皇遺愛の品々や東大寺での法要にまつわるものなど、およそ9000件の1698900085558品々から成っていて、そのうちの約60件ほどが毎年展示されている。今回も螺鈿細工の琵琶や同じく螺鈿細工の円鏡、当時の刺繡や染織技術の見事さを教えられる帯や幡の飾りなどが展示され、1300年の時を経ても色あせぬ宝物の数々に目を奪われた。毎年私が楽しみにしているのは古文書の類で、今年も「雑物出入継文」や「正倉院古文書正集」をじっくり見てきた。とくに後者には道鏡の署名がある文書がいくつもあって、のびやかで力強い書体に見入ったことだ。(私は毎年道鏡の書を見るたびに、彼の汚名返上を思うのです)。また上総や下総の住民名簿を見て、これをもとに租庸調を定めたのだろうな、昔も今も住民台帳を正確に作成するのは課税の基本だろうからなと思う。などなど、1300年前の品々を見て、様々なことを思ったことです。
 奈良国立博物館を出たあと興福寺に寄り、なら町を散策。元興寺や三重塔跡などを見て近鉄奈良駅へ。13時50分発京都行の特急に乗ると、これが「あをによし」号で、それはお洒落な電車。一両の席数は24と少なく、殆どが窓際のツイン席。この電車も外国人ファミリーがいっぱいでした。
 写真上は奈良国立博物館で開催中の正倉院展。下は猿沢の池で興福寺の五重塔。博物館の別館で吉野の金峯山寺仁王門の金剛力士像が展示中。仁王門の修理が完了するまでこちらで展示されるとのこと。見上げるほどの立派な仁王像です。

 「菊の香や奈良には古き仏たち」(芭蕉)を実感した一日でした。    

IMG_20231101_104255 11月1日(水)晴れ。今日から霜月。昨日もそうだったが、朝から抜けるような青空が広がっている。そろそろ紅葉のシーズンに入るのだが、嵐山を遠望しても山肌が少し色づき始めているかなあという程度。朝夕は肌寒いが、昼間は20数度の暑さになるので、まだ夏の余韻が・・・という感じなのだ。さて、今日から百万遍の知恩寺で「秋の古本まつり」が始まった。もうできるだけ本は増やさないと思っているのだが、やはり足が向いてしまう。朝10時に会場へ着くと、もう大勢の客が境内いっぱいに並べられた書棚に群がっている。今年はK書店のブースに、市内のある大学図書館が放出した文庫本(岩波、ちくま、講談社文芸文庫、講談社学術文庫、岩波現代文庫など)が纏まって出ている。いずれも新品同様で三冊500円。つい●川本三郎編『荷風語録』(岩波現代文庫)、小林勇『惜櫟荘主人』(講談社文芸文庫)、『漱石・子規往復書簡集』(岩波文庫)などを購入。あと、伊吹和子『われよりほかに 谷崎潤一郎さいごの十二年』(講談社)、現代詩読本『さよなら鮎川信夫』(思潮社)などをゲット。帰りのバスの中で早速『さよなら鮎川信夫』を開く。鮎川信夫が66歳で亡くなってもう37年になるのだ。彼の「切願」という詩を時々思い出す。

 欲する処にしたがい
 欲する時に
 欲するように死ぬ
 こののちは訪うべくもないゆえに
 たしかな消息という
 無縁のいのちを
 どこにもない場所に預けにいく
 なにげなく交信した
 あれが最後の挨拶になったと
 この世の外で呟くように 

 

IMG_20231031_190802 10月31日(火)晴れ。「図書」11月号には「追悼 大江健三郎さん」と題して、新川明や田村久美子、山登義明などによる追悼文が掲載されている。大江健三郎が今年の3月3日に88歳で亡くなった後、いくつもの雑誌が特集を組み、いろんな人による追悼文が載った。それらの大半に目を通したが、『大江健三郎全小説』全巻解説を担当した尾崎真理子さんの書いたもののほかは、心に残るというはなかった。だが、この「図書」に掲載された追悼文には心に響くものがあった。書き手の中にある作家に対する敬愛の念が、素直に伝わってくるからだろう。それらによると素顔の作家は時にユーモラス、時に真摯、常に謙虚で沖縄や広島の人々に対して実に献身的であった.。なかでも作家の長男・光さんにピアノの手ほどきをした田村久美子さんの文章に胸打たれた。
 また尾崎真理子さんはここでも大江健三郎の仕事について書いているが、このたびは小説ではなく、作家が残したエッセイ・評論集について、時代と共に歩いてきた作家の足取りを的確に紹介している。
 今日、町の書店で大江健三郎『親密な手紙』(岩波新書)を買ってきたばかり。これは2010年から3年間にわたって「図書」に連載されたエッセイをまとめたもの。10年前に読んだはずだが、最初の部分を読んで、ほとんど記憶にないことに気づく。自分の忘却力は棚に上げて、繰り返しの読書に耐えてこそ「本」といえるのだ、と書いておこう。

1698489463520 10月30日(月)晴れ。昨夜は満月だった。東の空に浮かぶ白い満月を見たあと、西山へと目を転じると、ちょうど、嵐山の中腹あたりに花火が上がるところだった。渡月橋がある中之島あたりから上げているのだろう。ごく短い時間に色とりどりの花火が上った。ベランダから遠望したが、秋の花火もいいものだ。ふと、辻征夫の「遠い花火」という詩を思い出した。これは別に花火を詠ったものではなく、単なる比喩として出てくるだけなのだが。
「こころに 爆弾があって 信管が奥歯のあいだにあって それをしみじみと噛みしめると BANG! 僕がいなくなってしまうんだ (いいわね そのときはわたしも 吹きとんでしまうのでしょう? 遠い花火のように)」(辻征夫「遠い花火」部分)
思い出す花火の詩はもう一つあって、これはいささかやるせない詩。
「つつましき人妻と
 屋根ごしの花火を見るーー
 見出でしひまに消えゆきし
 いとも遠き花火を語る」(佐藤春夫「遠き花火」)

 もう20年近く前のことだが、雪の季節にいまはもうないトワイライトエクスプレス号に乗って北海道へ出かけた時の事。もう暗くなってから新潟あたりを走っていると、遠くに花火が上がるのが見えた。長岡の花火らしいと教えられたが、凍るような真冬の空に束の間輝く光はいまも忘れられない。遠くに住む誰かからの信号のような花火、「見出でしひまに消えゆきし・・」いとはかなき夢のごとき・・・

 

IMG_8961 10月29日(日)晴れ。2023年ラグビーワールドカップはたった今、南アフリカが優勝して終わった。12-11という接戦で、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。終盤ボールを支配したのはニュージーランドだったが、あと一歩というところで及ばなかった。試合終了の笛が鳴ると、緑と黒、二つのユニフォームが抱き合ってお互いの健闘を称えあう。試合が終わればノーサイド、大きな体の選手たちが手放しで泣き、肩をたたき合う。日本チームも体力は互角に近づいたと思うがあの破壊力には・・。9月8日に始まったRWCも今日で終了。
 今月初め、朝起きると右足の膝が痛んで立つのもやっとという状態に。年上の友人たちが言う「足がかなんで難儀やわあ」はまさにこのことかと納得す。何とか騙しだまし動いていたが、我慢できずかかりつけ医に診てもらうと、「運動不足やな。痛うても動かさにゃあ」とのこと。夏の終わりからこっち、長い残暑に怖れをなして家に籠っていた報いかと反省す。まだ膝に若干痛みが残っているが、なんとか普段通りに動けるようになった。ぼちぼち、よたよたながら。  
 写真はRWC決勝戦、ニュージーランドと南アフリカのスクラム場面。TV画面をパチリ。

2002年秋山中・御所DSC01063 10月26日(木)晴れ。今年の夏の暑さときたら、年々、暑さ寒さが堪えるようになった身には耐えがたいものがあった。9月も末ごろ、ようよう朝夕は凌ぎやすくなったものの、なかなか秋が来たという気分にはなれなかった。金木犀の花を見たのはつい先日のこと。さて、長い夏休みもそろそろ終わりにしなければ。今月も残り僅かになったが、10月になるといつも思い出すこの詩を今年も書いておこう。

中野重治「十月」

2002年秋山中・御所DSC01059 空のすみゆき
 鳥のとび 
 山の柿の実 
 野の垂り穂 
 それにもましてあさあさの 
 つめたき霧にはだふれよ
 ほほ むね せなか
 わきまでも

 写真は福井県坂井市丸岡町にある「中野重治記念文庫」。2002年、中野重治生誕100年の年にここで記念講演をした大江健三郎による「十月」の色紙が飾ってあった。「先生の家郷にて。秋のはじまる日、二〇〇二年 大江健三郎」の添え書きがある。市町村合併でいまは坂井市となったが、まだ丸岡町といっていた頃から何度も訪ねたことがある。作家の胸像の作者は高田博厚。この人の『分水嶺』という本を読んだのはいつのことだったか。

 ぼちぼち、とぼとぼ、ブログ再開です。
「行き行きて倒れ伏すとも萩の原」(曾良)といった心持です。

IMG_20230731_141224 7月31日(月)晴れ。平安古記録を読む人が増えたのか、今月も藤原実資(957~1046)の日記『小右記』が文庫本で出た。『小右記』は実資の21歳から84歳まで、およそ63年におよぶ記録で、大日本古記録だと全11巻になる。これはその中から初心者向きに面白そうな記述を集めたダイジェスト版。だが、原文、読み下し文、現代語訳と併記されているので、古文に親しむには便利だ。全776ページと大部だが、どこからでも読めるので旅のお供にいい。この本を座右に置いたらふと悪戯心がおきて、これより分厚い文庫本はあるかしらと書棚を眺めることに。ありました。
●山本健吉『基本季語500選』(講談社学術文庫)1018ページ。
●梯久美子『狂うひと』(新潮文庫)905ページ。
そして『小右記』の776ページ。これに次ぐのが、
●木山捷平『酔いざめ日記』(講談社文芸文庫)747ページ。(これは文庫本なのに定価が2500円もしました)。
●『松本清張の世界』(文春文庫)744ページ。
●『チャップリン自伝』(新潮文庫)688ページ。
●鶴見俊輔『期待と回想』(ちくま文庫)600ページ。
「たけくらべ」ならぬ「嵩くらべ」。いまざっと眺めただけなので、探せばもっと分厚い本は出てくると思いますが、ほんの思い付きのお遊びまで。

 明日から夏休みでしばらくお休みです。せっかく復活したと思ったら、この洛中日記はまたもやお休み。今回の旅のお供には、買ったばかりの文庫版『小右記』といつものように『断腸亭日乗』と新旧の日記を。ではみなさま、猛暑・酷暑に負けず元気にお過ごしくださいね。 

IMG_20230730_130011 7月30日(日)晴れ。猛暑。北海道の友人から電話あり。この暑さでついにクーラーを買ったとのこと。これまでは夏の数日間を我慢すればよかったのだが、今年の暑さには我慢も限界という。そして笑いながら、夏はいやだいやだと言いながら、冬になると「夏の方がまし」というのだろうね、と。思わず鬼貫の「冬はまた夏がましじゃと言ひにけり」が口に出る。  
 温暖化など気候変動によって氷河が溶け、その下から過去の遭難者の遺体が現れたというニュース。スイスのマッターホルンでは37年前に行方不明となっていたドイツ人登山者の遺体がみつかったそうだ。そういえばもう数十年前になるが、知人の姉にあたる人がヨーロッパの山で亡くなったことがある。経験豊富なアマチュア登山家だったが、仲間と登山中にクレバスに落ち、助からなかった。クレバスに落ちた彼女を助けようと仲間が集まったが、穴の下から彼女はこう叫んだという。「危険だから誰も助けに来ないで、私はここで死にます。みんなありがとう」。(私はこの話を聞いて「風の花嫁」という短編を書いた) 彼女はいまも氷の裂け目に眠っているのだろう。いつか地表に現れることがあるだろうか。
 ●尾崎真理子『大江健三郎全小説全解説』(講談社)を読んでいる。3月に亡くなった大江健三郎の追悼文が各文芸誌の5月号に掲載された。また新聞や雑誌に掲載されたいろんな人の追悼文を読んだが、いちばんすんなりと胸に落ちたのは尾崎真理子の追悼文だった。「新潮」5月号に載っている彼女の追悼文は、「大江健三郎は、戦後日本と現代人の苦悩をその身に引き受けた作家だったーーその通りだ。(中略) 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重。これらに代表される戦後民主主義の精神を、誰より高く掲げてきたのが、大江健三郎にほかならない」とある。彼が仕事を全うすることができたのは戦後の日本が平和を保ってきたからだ(これからどんな社会になっていくのかはわからないけれど)ーー。大江健三郎の死を知ったとき、頭に浮かんだのはブレイクの「The Little Boy Lost」という詩だった。
 「Father!father!  where are you going?   O do not walk fast.  Speak, father,speak to your little boy, Or slse I shall be lost  」あなたがいなくなったら私は迷い子になってしまう・・・。    

IMG_20200811_114641 7月29日(土)晴れ。殺人的暑さが続いている。一日冷房の効いた部屋にいるのだが、思考力は低下する一方。こんな時は書くのは諦めて、ただひたすら読むのがいい。というので、池内紀『遊園地の木馬』(みすず書房 1998年)を再読。淡々とした語り口で、さりげなく大切なことが記されている。この本の最後はこんな文章で終わっている。
「五歳のときに祖母が、七つのときに祖父が、十のときに父が、十六のとき兄が、二十四のときに母が死んだ。死はいま一つのクラス分けであって、どんなになじんだ顔も、ある日、見知らぬところへ移っていく。その間に何を考えていたのか、もう思い出せないが、おのずと自分なりの人生のルールといったものをやしなってきたような気がする。さりげないのが好きだ。仕事にも、日常にも、人との出会いと別れにも、ことごとしいのはまっぴら。その手の人は敬して近づかない。権力や権威めいたものとは、なろうことなら縁なしでいたい。浮き世の義理は八分がた果たしたような気がするから、ある程度の我ままは通していい。テレビもパソコンもないが、べつに不便はない。車はなくとも丈夫な足がある。おかず一、二品で満腹するだけの修業はしている。ーーといったことが、しめくくりのご挨拶。「遊園地の木馬」もこれでお別れ」。  
 55歳で東大教授をやめて、身軽になる前後に書かれたエッセイ集。こちらも40代の終わりごろ、半分隠居気分だったので、深く共感した。それから20数年後、気が合うものかき仲間の川本三郎との対談集『すごいトシヨリ散歩』(毎日新聞出版 2021年)が出たが、そのとき池内紀はもうこの世にいなかった。さりげなさを愛したドイツ文学者は2019年8月30日に78歳で亡くなっている。
この『すごいトシヨリ散歩』には味わい深い二人の言葉がたくさん出てくるのだが、池内紀の本に関するこんな言葉がある。
「ベストセラーは読まなくていい。半年もすればゾッキ本になっているから。ぼくの体験ではいい本というのはそんなに目立たない、静かなものです。なんとなく気になるから読んでいて、ふと気づいたら読み終わっている。そして、いつまでも手元に置きたいと思う。そんな本です」。それにたいして川本三郎が「地味であることは、じつは大事なことではないかと思います」と答えているのが好もしい。
 ある研究会で上洛予定の友人が、家族がコロナに感染したので、京都行は中止するという。症状は軽いそうだが、コロナはまだ消えてはいないのだ。「災難でしたね。くれぐれも用心してお大事に」と返事す。京都の町は外国人だらけだが、かれらのほとんどはマスクなし。もうコロナなんか忘れたという感じだが、大丈夫なのかしらん。
 今日は旧暦6月12日。「おくのほそ道」芭蕉のこの日は、「羽黒を立ちて、鶴が岡の城下、長山重行といふ武士の家に迎へられ、俳諧一巻あり」。十日に羽黒を立って、鶴岡へ向かった二人は、長山邸において十一、十二日と歌仙を巻いている。「めづらしや山をいで羽の初なすび」(翁)。
 鶴岡には城跡公園内に藤沢周平文学館がありました。地味だけれど、没後26年のいまも愛され読み継がれている作家です。 

IMG_20230726_092835IMG_4823 7月26日(水)晴れ。朝、窓を開けると蝉の声が押し寄せてきた。と同時に熱風も。我が家のガラス窓は三重なので、閉めると空気も音も遮断される。昨日の気温は37度。直射日光の下だと40度を超えるだろう。夏休みに入ったのか、朝からセミ捕りに興じる子どもたちの声がする。そういえば、セミの鳴くのはオスだけ、と聞いて「羨ましい」と言った男性がいたっけ。
 今日は旧暦6月9日。毎年、旧暦3月27日になると、芭蕉の『おくのほそ道』を開く。今年は太陽暦5月16日がその日だった。「おくのほそ道」の旅のスタートの日で、この日から毎日本を開いては、芭蕉と曽良の旅を追体験するのを楽しみとしている。さて、今日6月9日、芭蕉はどこで何をしていたか。『おくのほそ道』には「八日、月山に登る」とあるが、曽良の『随行日記』によると、6月3日羽黒に着いた二人は、5日羽黒神社に参詣し、6日に月山に登り、7日は湯殿山へ廻って、さすがに疲労困憊したのだろう、8日は休息している。『曽良随行日記』によると、8日は「昼時、和光院御入、申刻至」、9日は「断食。及昼テシメアグル。亦、和光院御入テ、飯・名酒等持参、申刻至。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出来」とあるので、9日は前日に続いて休息し、注連あげを終えて、客と歌仙をまいたようだ。私は5年前に東北を旅して羽黒山にも行ったが、さすがに山へは登れなかった。麓にある五重塔(国宝)にお参りし、修験者が法螺貝を吹くのを聴いただけ。この時は仙台~塩釜~松島~平泉~尾花沢~新庄~羽黒山~鶴岡~酒田と偶然にも芭蕉の足取りを辿る旅となった。事前に計画していたわけではなかったので、行く先々に芭蕉が現れるのが楽しくて、つい後を追ったようなもの。その前年、山形に友人を訪ねたとき、仙台から山形へ行く途中で立石寺へ立ち寄ったことがある。ここもそこかしこ芭蕉だらけで、『おくのほそ道』おそるべしと思ったものだ。
 ●西加奈子『くもをさがす』(河出書房新社)を読む。語学留学で出かけたカナダで乳がんがみつかり、治療を受けた8ケ月余にわたる実体験記。海外でのがん体験記といえば、もう30数年前に評判になった千葉敦子『ニューヨークでがんと生きる』や『死の準備日記』(朝日文庫)を思い出す。ジャーナリストだった千葉敦子は独身だったが、実に果敢で、自分の病気も治療の体験も冷静にありのまま公開した。いま本を探すが、見つからない。『くもをさがす』はカナダ人たちの会話を大阪弁で綴っているところがいい。重くなりがちな病気の話が軽やかで、読みながら勇気が湧いてくる。両方の乳房を除去するという大手術なのに、日帰りというのには驚いた。他民族国家であるカナダ、その中でもバンクーバーという町が持つ助け合いの精神や、偏見を持たない市民性というものが詳しく記されていて、ついこちらはどうかと思ってしまう。それにしてもバンクーバーではタフでなければ生きていけそうにない。それと何事も「なるようになる」という楽天性が必要なようです。
 写真は最上川畔に立つ芭蕉と曽良像。
 

鷹山大船鉾 7月25日(火)晴れ。7月1日から始まった京都の祇園祭も、ハイライトとなる山鉾巡行の前祭(17日)、後祭(24日)ともに終わり、あとは31日の疫神社の夏越祭を待つだけとなった。例年ならまだ梅雨の最中で、鉾が立っている間は雨に降られることが多いのだが、今年はにわか雨程度で済んだのは幸いなことだった。猛暑続きの中、できるだけ外出を控えている身としては、宵山見物は命がけという感じ。あの狭い鉾町界隈に30万もの人が押し寄せるのだから。それでも昨日、24日の後祭は烏丸御池の出発地点まで出向いて、見物してきた。涼しい部屋でTV中継を見ている方が楽なのだが、やはり祭の臨場感は現場でないと・・。ウイークデイとはいえかなりの人出で、その半分以上が外国人観光客なのに驚く。いろんな国の言葉が飛び交う中、11基の山鉾が進んでいくのを見送ってまっすぐ帰宅。
 2ヵ月近くブログを休んでしまった。その間、九州へ出かけたり、瀬戸内海や淡路島に遊んだり、毎日の読書も欠かさず、古記録演習も真面目にやって、忙しい日々を送っていた。相変わらず人の出入りも多いのだが、遠出をしないときは涼しい部屋に籠りきりで、一日の歩行数が100歩にも満たないという日が続いている。このまま座りきり老人になってしまうのも困るのだが。
●養老孟司・池田清彦『年寄りは本気だ はみ出し日本論』(新潮選書)をところどころ声を立てて笑いながら読む。どこかニヒルでシニカルなこの二人の話が面白くないはずがない。先の心配をしてもね、もうそのころ自分はいないのだけど・・と言いながらあれこれ論じてくれるのが嬉しい。

 写真は24日、後祭で巡行する鷹山(左)と大船鉾(右)。鷹山は応仁の乱以前より続く歴史ある山。江戸末期に休み山となっていたが、去年196年ぶりに復興した。後祭の最後尾をゆく大船鉾は、2014年に150年ぶりに復興したもの。新しい山鉾の復興はみんなの期待を集めて、巡行の時は、それは感動的だった。

1683868647094 5月14日(日)曇り。母の日。子どもたちから花やお菓子が届く。午後、今日が94歳の誕生日だという独り住まいのAさんを訪ねる。母の日と誕生日が重なってお祝いも倍、遠くからお子たちが来て賑やかに過ごしておられた。Aさんはパソコンやスマホを使いこなし、TVや新聞で必要な情報も得て、独りでも心豊かに暮らしている。見習いたい人生の先輩なり。  
 先月鳥取へ出かけたとき、行きそびれた所があった。県立図書館と今井書店、そして野の花診療所。鳥取の県立図書館は職業支援などをすることで注目されている話題の図書館。米子にある今井書店は以前「本の学校」を主催した本屋さん。高い理念をもって書店経営をしていることで有名。何度も店の近くを通ったのに、寄ること能わず。野の花診療所は徳永進ドクターが運営する終IMG_8178末医療・ケアのホスピタル。ガンで余命いくばくかを宣言されたら、ここにお世話になりたいと思っている。2025年オープン予定の鳥取県立美術館は倉吉市にできるそうだ。最近、この美術館がウオーホルの作品を3億円で購入したことが話題となった。作品は「ブリロの箱」が5個。県民から「高額すぎる」「現代美術は良さがわかりにくい」などという声が相次いだという。それで思い出したが、山梨県立美術館が開館に際し、ミレーの「種まく人」ともう一点を合わせて2億5千万近くで購入したこと。その時も高額すぎるという声があったそうだ。だがミレーの作風が山梨には合っていたのか、その後もミレーの作品を収集し続けて現在は70点近い立派なコレクションとなっている。ミレーといえば山梨、となっているのだ。まあ、ウオーホルといえば鳥取というわけにはいかないだろうが、美術館のオープンが待たれますね。  
 写真は京都府立植物園のバラ園。奥に見えるのは比叡山です。

IMG_8191 5月13日(土)曇りのち雨。午後、Zoomで出版研究集会「これからどうなる? わたしの本、わたしの本屋さん」を視聴す。基調講演は永江朗さん。そのあと現場からの報告と題してひとり出版社の島田潤一郎さんが話された。残念ながら永江さんの話は音声がクリアではなく、声をうまく聴きとることができなかった。幸い画面にレジュメが映し出されていたので、話の内容は想像することができたが。島田さんの方は声が通り、7割くらいは聞き取れたと思う。永江さんは新刊書店が激減する理由として、メガ書店の時代が終わったIMG_20230513_102334こと、雑誌ビジネスが終わったこと、読書人口が減少したことなどをあげていた。反面、自分で選んで本を仕入れる個性的な独立書店が増えていること、多用な商品を置き、トークイベントなどもやる地域の店としての書店が各地にあることを紹介された。
 島田潤一郎さんの「夏葉社」はよく選ばれた本を出していることで知られている。我が家にも夏葉社の本がいくつかある。『庄野潤三の本 山の上の家』、山下賢二『ガケ書房の頃』、関口良雄『昔日の客』など。夏葉社は年に3-4冊の本を出していて、今年でもう14年目になるそうだ。根強いファンがいるようだから、これからも着実に続いていくことだろう。
 全国の1741市町村のうち、26%にあたる456の市町村に書店がないという。全国の書店数はこの10年で3割も減ったそうだ。映画館がない町はあるが、本屋がない町なんて考えられない。ピンポイントで目的の本を買うならネット書店もいいが、本屋の棚で思いもかけない本に出会う楽しみはない。まさにこれからどうなる?。  
 写真は近所に咲いているナニワイバラ。下はソヨゴの花。秋には真っ赤な実になります。立命館大学朱雀キャンパスの門前に咲いていて、すぐ傍にはテイカカズラの白い花も咲いています。

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