Img_7603 10月7日(金)晴れ。午後から諏訪神社の祭礼「くんち」の神幸祭(おくだり)を見る。三基の神輿が渡ったあと、各踊町による傘鉾パレードがあった。ビルの谷間を行く傘鉾の行列は勇壮さと華麗さで、祇園祭の山鉾巡行を思わせるものあり。この日は奉納踊りを夕方から見ることになっているので、それまで町を散策す。


 奉納踊は祭りの初日の朝7時から諏訪神社で始まり、公会堂前広場、お旅所と順に回る。私はこの日の午後5時から、友人のYさんと公会堂前広場で見た。今年の踊町は今籠町、油


Img_7659_2屋町、元船町、上町、鍛冶屋町、筑後町の6ケ町。長崎市は悪名高き町名改正で市内の町を統廃合し、歴史ある町名をいくつも消してしまった。おくんちの奉納踊は旧町内で出すので、7年に一回踊町となるときだけ、消えた町名が復活する。私が育った町の名前も消えたうちの一つで、来年、踊町で久しぶりに復活する予定。


 Yさんは祭礼研究家で長崎くんちに関してはまさに生き字引、この日の解説者(E先生でした)より詳しい。全国各地の祭りを訪ね歩き、


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比較研究も怠らない。私はかねがね祇園祭の宵山に行われる屏風祭と長崎くんちの庭見せとの相似性を思っているのだが、Yさんに尋ねるのを失念。奉納踊りが始まってしばらくしたころ、長崎市長に案内されてケネディ駐日大使が入場、観客の大きな拍手に迎えられ、目の前の席に着さる。奉納踊りは年々贅を極め華美になりつつあるという印象。江戸時代、貿易で潤った町ならではの祭なり。当時長崎の町民は納税という言葉を知らなかったのではないか。納めるどころか、年に2回も竈銀と称する給付金をお上から貰っていたのだから。貿易の余剰金というか、利益の一部を町民に配布していたのだ。そのせいで長崎っ子は遊び好き、宵越しの金は持たない・・・とばかりに何事によらず派手だったのだろう。今は昔の話ですが。毎回アンコールが続き、予定時間がどんどん延びて、約1時間遅れでここでの奉納踊が終了。最後は3頭の龍踊、それは勇壮でした。


 祭見物のあと、Yさんに案内されて籠町にある寿司屋で食事。聞くとそこのご主人はわが中学校の同窓生(彼が後輩でした)。遠慮がとれて一挙に寛ぐ。美味しい魚を、京都では食べられないものを、と頼む。出てきたのは鯖、タイの刺身にカツオのたたき。鯖を生で食すなど、京都の友人には想像もできないだろう。関サバなんて、目じゃないねといいながら美味しくいただく。京都で鯖といえば「きずし」(しめ鯖ですね)オンリー。高島屋で関サバが一尾7000円で出てた、のどぐろが5000円、などというと、赤むつにそげな値段ばつくるなんて、そいにアジ、サバなら何というても長崎よ、野母んアジ、五島のサバば食べたことのなかとやろう、気の毒っか、とおかみさん。そのあとも勧められるままクジラを食べ、地魚を握ってもらい・・・合間に地酒を少し(?)・・・あとは朧でした。


 写真上はおくだりのあとに行われた傘鉾パレード。中は油屋町による奉納の出し物川船。船を曳く根曳の男性たちのいなせなこと。下は会場に入る前、町で庭先回りをする上町のコッコデショ。コッコデショは樺島町の定番だが、今年初めて上町が出し物としたそうだ。