DSC_0959 9月16日(月)晴れ。敬老の日。9月4日付の朝日新聞に池澤夏樹さんが「身に染みる衰え 老いては若きに席を譲ろう」というエッセイを書いていた。月に一度掲載される「終わりと始まり」というタイトルの連載エッセイで、今回は珍しく自分の老いについて触れてある。「自分が老いたと思う。それが日々実感される」で始まるこの文は、体力の衰えや、知的好奇心の衰え、新しいものに飛びつかなくなった、など自らの衰退ぶりを並べたあと、高齢化で活力を失うであろう国の未来を予感させて終わっている。少子高齢化はもうずっと前から分かっていたこと、問題を先送りしてきたツケがいま目の前に迫っているということだろう。若い人に席を譲ろう、といってもバトンを渡される若い世代がどれくらいいるものやら。
 遊びに来ていた女子学生のM子にこのエッセイを読ませたところ、「同感。年寄りはどんどんリタイアして後進に道を譲ってほしい」。日頃、博士号をとってもなかなか就職できないと嘆いているM子、上がつかえているからなかなか私たちに正規の仕事が回ってこないと恨めしそうだった。非常勤の仕事をかけもちしても食べるのがやっと、なんといっても将来の展望が拓けないのが辛い・・・と。若い人の悩みは深刻だが、こちらは毎回ただ聴くばかり、何の力にもなってやれないのが辛い。
 それにしても池澤夏樹さんの「老いの自覚」には当方も思い当たることばかり、身体能力の衰え、車の運転をいつまで続けられるか、視力の衰え、不義理が増える(手紙やメールの返事が遅れる・・・私の場合、ブログを書くのを怠けがちになる)、知的好奇心の衰え、新しいものに飛びつかなくなった・・・私もたいていのことは「ま、いいか」とスルーすることが多くなった。しかし老いるのは悪くない。何よりも自由なのがいい。

 写真は色づき始めたムラサキシキブ。写真を撮っていると通りかかった中年女性のグループが、「あ、これ、なんだっけ、ほら、あの、平安時代の女流作家の・・」「ああ、セイショウナゴン!」というので笑ってしまった。そういえば、マーガレットの花を見て、「エリザベス」と言った人がいましたね。