1998年10月23日、京都の橘女子大(現在は共学の橘大学)で歴史家の網野善彦氏の話を聴いたことがある。「中世における女性の社会的地位について」という演題で、さまざまな古文書をテキストに、当時の人々の暮らしや女性の仕事について丁寧に話された。この時も氏の持論である「百姓=農民にあらず」に触れ、中世の荘園・公領における年貢に米が占める割合は4割程度に過ぎず、残りには絹、生糸、鉄、金、塩、紙、材木などさまざまなものがあった、という話が印象に残っている。また、柿に関する研究はあまりないから、誰か「柿」を調べてみないかとも言われた。終始うつむきがちで、お世辞にも雄弁とは言いがたい話ぶりであったが、著書からもうかがえるように情熱のこもる講演であった。8年も前のことを昨日のように覚えているのは、長く氏の著書に親しみ、多くのことを教えられてきた自分にとって、幸せな時だったからに違いない。
2月27日はその網野善彦の命日である。仏教式にいえば今日は3回忌ということになろうか。歴史の研究には古文書の読解は欠かせない。全国各地から借用した文書を40年かけて返却して歩いた記録『古文書返却の旅』(中公新書)からは学者としての良心や誠実さが伝わってくる。膨大な論文や著書を遺したが、氏は民衆の生活にねざした視点から中世を捉えなおした歴史家だった。甥である中沢新一の『僕の叔父さん』(集英社新書)に魅力的なその素顔がよく描かれている。
写真は京都祇園の新門前にある骨董屋のウィンドウ。桜が飾られていたので、思わず撮影した。この一帯は骨董屋通りで、私のお気に入りの場所である。