空を寒み花にまがえて散る雪に 少し春ある心地こそすれ
朝、窓を明けると外はうっすらと雪化粧していた。愛宕山はと見れば、白銀の峯に雪雲がかかっている。3月のつごもりに雪いたう降りて・・・と思わずつぶやく。「枕草子」に「2月つごもりごろに、風いたう吹きて」というのがある(102段)。藤原公任から「すこし春ある心地こそすれ」と書いた手紙が清少納言のもとに届けられた。この歌の上の句をつけよ、というわけだが、歌壇の第一人者の公任の申し出だけにためらっていると、早く早くとせきたてられてしまう。そこで清少納言はとっさに「空寒み花とまがえて降る雪に」と書いて渡した。それがあまりにも見事だったので、高官たちの間で「内侍に任命しよう」などと評判になった・・・ということを少納言が書いている。自慢話ととれないことはないが、少しも嫌味はない。機知に富み、頭の回転の早い少納言の魅力がよく伝わる一段である。それにこの歌はちょうど今の時期に合っているので、私はよく引用させてもらっている。
『わがひとに与ふる哀歌』や『春のいそぎ』などの詩集で知られる詩人の伊東静雄、今年は彼の生誕100年にあたり、生まれ故郷の長崎県諌早市の図書館で記念文学展が開催されている。そこに小説家三島由紀夫が伊東静雄に送った手紙が展示されているそうだ。1948年というからまだ三島由紀夫は23歳、書簡には傾倒する伊東に対する尊敬の念が綴られているという。伊東静雄は萩原朔太郎に絶賛されて詩人としてのスタートを切り、詩誌「コギト」同人として清冽な抒情詩を書いた。大阪の住吉高校に国語教師として勤め、戦前の教え子に作家の庄野潤三がいる。諫早市では毎年3月最後の日曜日に詩人をしのんで「菜の花忌」が開催されているが、庄野潤三は2度ほど招かれて恩師の話をしている。私が聴いたのは2度目の講演だが、語られる内容は本で読んでよく知っていることでも、実際に聴くと理解が深まるという気がした。師と同じ文学の道に進んだ庄野さんの恩師に寄せる敬愛の深さに打たれるいいお話だった。ちなみに伊東静雄は1953年3月12日、肺結核のため死亡。享年46歳。桑原武夫・小高根二郎・富士正晴編『定本 伊東静雄全集』(人文書院)は我が愛蔵書の一つ。
写真は今朝の雪雲に隠れた愛宕山。