2月28日(木)晴れ。今朝も京都の町はうっすらと雪化粧していた。京都盆地を三方から囲む山々も真っ白。仁和寺の五重塔の屋根が白く輝いている。「今朝は西山の天王山辺りまで白いよ」と言うと、「でも大山崎を過ぎると雪はないよ」とつれあいの返事。京都は雪でも大阪は晴天、ということが多いそうだ。
今年は源氏物語が書かれてから千年というので、いろんな記念行事が開催されているが、それにあやかって出版物も目白押しのようだ。源氏物語と銘打てば中身はどうであれ売れるというので、便乗組みも少なくない(らしい)。紫式部が生きていたら、ものすごい印税を手にしていたことだろう。それと膨大なるパテント料も。源氏物語は汲めども尽きぬ宝の井戸のようなもの、これからも多くの人の懐をうるおすことだろう。などといささか卑俗なことを書いてしまったのも、近所の小さな書店に、写真のようなコーナーを見かけたからだ。いま日本では一年間に約8万点を越す出版物が発刊されている。1990年ごろはまだその半分くらいだったから、この20年で2倍に増えているわけだ。単純に計算しても毎日220点あまりの本や雑誌が出ているわけで、いまや本の洪水を通り越して、氾濫状態。新刊書はすぐに古本になり、読者の目にふれる機会もないまま消えていく本の方が多いのではないか。ベストセラー本が出ると、すぐ二番煎じの似たような本がわっと出る。馬鹿の次は品格、の氾濫というわけだ。新刊書店に行っても目が廻るだけだから、本を選ぶなら古本屋へ行くほうがいい。まあ、京都には古本屋みたいな新刊書店の三月書房があるからいいが。
以前、石牟礼道子さんから新しい本の案内をいただいたことがある。「本が出るのは嬉しいが、森林破壊に手を貸しているようで心苦しい・・・」というようなことが書いてあった。ああ、石牟礼さんにしてこの言葉。以来、書店をのぞくたびに石牟礼さんのこの言葉を思い出してしまう。
少女時代の夢はどこかの財閥が所有する私設図書館に勤めること、であった。私設図書館だから客は来ないし、好きなだけ本が読める、と単純に夢見たものだが。
いまとなっては、手持ちの本を読み尽すことさえ難しい。きっと時間切れでお別れとなるのではないだろうか・・。