1月30日(金)曇り。今日、1月30日は旅する巨人といわれた宮本常一(1907―1981)」の命日。故郷山口県の周防大島では今日、彼を偲ぶ「水仙忌」が開催され、宮本常一の伝記『旅する巨人』を書いた佐野眞一の講演があるそうだ。宮本常一といえば『忘れられた日本人』が真っ先に思い浮かぶが、日本人とは何かを考えるとき、この本は最高のテキストになってくれる。日本全国をくまなく歩いて、農民や漁民、商人、主婦など、地に足をつけて働き、生活している人たちの話を記録した。彼を在野の民俗学者に育てた渋沢敬三は常々彼にこう語ったという。
「大事なことは主流にならぬこと。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分も本当によろこべるようになること。人の仕事にケチをつけるようなことはしてはならぬ、また人の邪魔をしてはならぬ・・・」
師の教えを守り、全国を歩いて民俗調査の旅を続けた宮本常一はまたよく書く人でもあった。生活費を稼ぐためでもあったのだろうが、(彼の収入が安定したのは50代半ばごろのことである)それらは未来社から出版された全50巻の著作集に収められている。昨年の暮れに出た50巻目のタイトルは「渋沢敬三」だが、この著作集はまだ完結していないのではないか。宮本常一は60歳のころ、日本観光文化研究所の所長となって、後進の育成にあたったが、このころ「あるく みる きく」という雑誌を創っている。彼の民俗学者としてのスタイル(基本姿勢)を一言で言い表したものではないか。私は初めて訪れた町ではかなう限り、高いところに上って町全体を眺めることにしている。自分がいまどこにいるのか、地図を片手にその町の様子を眺める。それはどうも宮本常一の本から教えられたことらしい。
宮本常一は話を聞く達人だった。録音機などない時代(あっても使わなかっただろう)彼は相手の話をきくとき、メモをとらず全部頭に入れて、あとからノートに記録したという。世間話から始めて相手の心を開かせる技量の見事さは誰にも真似できないものがあった。相手の心をつかむ魅力があったのだろう。生まれた家は農家で善根宿もしていたというから、見知らぬ人と接する技を幼いときから身につけていたのかもしれない。弘法大師ではないが、日本各地に彼が歩いた跡があり、彼を懐かしむ人がいる。ICコーダー片手に「調査する」学者先生にはできないことではないだろうか。
宮本常一は「あるく みる きく」だが、私は「読み 書き 歩く」。でも、もうすぐ「食べる 寝る」だけになるのではないかと心配です。