10月31日(月)晴れ。昨日は雨の中、友人のFさんに誘われて、兵庫県朝来市にある竹田城址を訪ねてきた。室町時代(1431年)山名氏の重臣太田垣氏によって築かれた城で、初代城主は太田垣光景。その後秀吉の弟秀長が入ったこともあったが、現在の陣容は天正13年(1585)に入城した赤松広秀の時代に築き上げられたもの。播磨・丹波・但馬の交通の要地にあり、また生野銀山に近いこともあって、豊臣政権の拠点城郭として機能したとされる。標高354メートルの古城山の頂上にあり、南北400メートル、東西100メートルと山上の城としてはかなり広い。ここは冬場の早朝、しばしば深い霧に包まれることから、「天空の城」と呼ばれ、最近人気が出てきたそうだ。正 直、今回訪ねるまで私は知らなかった。京都から名神高速ー中国自動車道ー舞鶴若狭自動車道を経て、北近畿豊岡自動車道の和田山ICで降りると竹田はすぐ。ほぼ2時間で到着。小雨が降る中、登山道の入り口で見上げると、霧に包まれた城の石垣が見えた。ボランティアガイドに案内されて山頂まで上がる。徒歩で40分くらいか。色づき始めた雑木林が美しい。サルトリイバラやノイバラ、ソヨゴ、ハゼなどの赤い実が目立つ。山上に石垣が残るだけの城址の第一印象は、大分県竹田にある岡城に似ているなあというもの。岡城が「牛臥城」と呼ばれているのに対し、但馬の竹田城は「虎臥城」と呼ばれているところも同じか。ここの石垣は穴太積みで、大きな石(すべて古城山周辺 から掘り出したものという)を野面積みにし、隙間に割石が埋めてある。力強い石垣で、430年間崩れたことがない、とガイドが胸を張った。赤松広秀は関ヶ原の戦いで西軍につき、夫人が宇喜多秀家の妹だったため東軍から厳しい探索もあったそうだが、鳥取攻めに加わり、大火の責任を問われて自刃。竹田城は廃城となった。(一国一城令で、但馬の国の城は出石城となる) 現在ここは国史跡となり、来訪者が増えたそうで、山の麓には新しく観光案内所ができ、広い駐車場も整備されていた。山上からの眺めは雄大、但馬の山々を背景に、城下町が一望できた。(霧の晴れ間に) 石垣の上には柵などないので、端に寄ると足が震えたが、(幼児や老人は要注意なり)城好きにはそこがいいのだろう。あるのは石垣のみ、それが実によかった。
竹田城を一時に出発、帰途、兵庫県丹波市青垣にある紅葉の名所高源寺(臨済宗)に寄り、午後5時半、京都帰着。高源寺は京都の京北にある常照皇寺に雰囲気が似たお寺で、(創建時期はほぼ同じ)山全体が紅葉、11月半ばには真っ赤になるという。時間があれば再訪したいものだ。
写真上は「天空の城」竹田城。中は大手門の石垣。下は高源寺の多宝塔(三重塔)。