10月30日(火)曇り。先週の土曜日、兄と最後のお別れをしてきた。2週間前見舞いにいったとき、ずいぶん衰弱していたのでこれが言葉を交わす最後になるのではと思ってはいたのだが・・・、 覚悟はしていたつもりだがやはり堪える。2年前のいまごろ、母を見送ったときは94歳という年齢もあって諦めがついたが、60代での死はやはり辛く切ない。胃癌の手術から5年、次々に転移し再発する癌と戦い続けた日々であった。抗癌治療の副作用が辛いと弱音をはくときもあったが、最後は穏やかで、痛みも苦しみもない日々を送り、家族に「みんなありがとう」と感謝の言葉を伝えて逝ったというから、わが兄ながらあっぱれな最期だったと思う。兄は高校卒業と同時に家を出たので、子どものころの思い出は切れ切れのものでしかない。兄は近所の人たちから「ぼくちゃん」と呼ばれていて、「ぼくちゃん、あそぼ」と仲間が呼びにきたものだ。高校生になっても隣のおばさんから、「ぼくちゃん、お帰り」などと言われていた。高校時代はラグビーをやり、ブラスバンドでクラリネットを演奏していた。当時はビッグバンドの時代で、スイングジャズもよく聴いたし、モーツアルトのクラリネット協奏曲もよく聴いた。兄の本棚(ごくごく小さなものだったが)から無断借用してそのまま私の手元に残った本が3冊ある。フーケの『水妖記』、魯迅の『野草』、そしてショウペンハウエルの『幸福についてー人生論』。3冊とも薄い文庫本で、兄のサイン入り。大人になってからも関東と九州(いまは京都)に離れて暮らしていたから、あまり話した記憶がない。会えば憎まれ口を叩き、舌鋒鋭い社会時評を聞かせてくれたものだが、どこか達観して遠くをみていた節もある。兄にもいろんな思いがあったに違いない。馬鹿な妹は何の役にも立てず、ただ頭を垂れるのみ。去年の秋、京都に来てくれたので、一日斑鳩に遊んだ。もう歩くのも辛そうだったが、法隆寺の百済観音の前で長いこと佇んでいた姿が忘れられない。
來るべきものは来る、要るのは覚悟だ、とは言うものの、その覚悟のなんと頼りないこと、今度のことで思い知りました。