2016年08月

Img_4096 8月6日(土)晴れ。今日は71回目の広島原爆忌。京都のお寺でも鎮魂の鐘が撞かれた。
 藤原実資の日記『小右記』治安元年(1021)七月二十五日条を読む。この日、実資は念願の右大臣に任じられ、自邸で大臣大饗を行っている。「太政大臣公季、左大臣頼道、右大臣僕」と日記に記しているが、「僕」という言葉はこのころから使われていたようだ。実資は普段は自分のことを「下官」とか「余」とか書いているのに、よほど嬉しかったのだろう。僕、といえば、亡くなった私の兄は子どものころみんなから「僕ちゃん」と呼ばれていた。近所の男の子たちは「僕ちゃんあそぼー」と誘いに来たし、家族もみんな「僕ちゃん」と呼んでいた。(私は兄を「僕兄ちゃん」と呼んでいた) 兄には修という名前があったのだが。僕兄ちゃんはクラリネットを吹き、ラグビーをやり、社会運動もやって69年の生涯を駆け抜けていった。兄とは15年しかいっしょに暮していないのに、兄の影響でクラシックやJazzに親しみ、ラグビーファンになった。分けられるならこの私の寿命を半分わけてやりたかったものを。


 今日から夏休みなので、涼を求めて八ケ岳山麓へ出かけます。今回の旅のお供は友人のMさん推薦の賣平凹『老生』(中央公論新社)。それからいつもの丸谷才一『新々百人一首』(新潮文庫)と清少納言『枕草子』も。では行ってきます。


Img_6563  8月4日(木)晴れ。近所の商店街に出張販売の山野草店が出ていたので、足を止めて見てきた。苔玉のミニ盆栽やポット入りの山野草が並べてあるなかに、ススキの根元に咲くナンバンギセルがあった。長崎の出島を発掘調査した際、オランダ商館員たちが使ったクレイパイプがたくさん出土した。この花はその形にそっくり。まさに南蛮ギセル、古名は「思ひ草」。俯いて何か考えているような姿に見えるからだろう。オモダカやナデシコにも惹かれたが、マンションのベランダでも逞しく育つというカヤツリソウを購入。白い花が涼やか。夏休みで長期に家を空けるときは、水を張ったバケツにつけておいたらいい、とアドバイスあり。総じて山野草は控えめで物静か(だと思う)。花に会うためにはこちらから出向くしかない。


 道の辺の尾花が下の思ひ草 今さらになぞ物か念はむ  『万葉集』巻の⒑ 2270


●ポール・ボガード『本当の夜をさがして』(白揚社 2016年)を読む。本当の夜の世界=真の闇=極夜を求めて旅をした詩人の記。いつから人々は闇を怖れ、悪としたのだろうか。作者は、夜こそ人間が本当の自分に戻れる時だという。闇の中で自分の弱さや脆さを自覚し、受け入れることの大切さんを説く。実際に真の闇を体験して旅をした作者の言葉には説得力がある。今後「闇の帝王」などという言葉は使えなくなるなあ、と思いながら読了。闇を体験する機会はなかなかない。とくに町なかに住んでいると、年中人工の明かりが消えることがない。夜になっても空に星を見つけるのが困難なほどなのだ。町を離れて満天の星を見にいかなければ。


Img_6565  8月3日(水)晴れ。Beatles来日50年というのでNHKTVが特集番組をやっていた。50年前にはまだ生まれていなかったという若い世代がビートルズのナンバーを楽しそうに演奏するのを見て、当時を思い出した。クラシック音楽では3B、偉大なバッハ、ベートーベン、ブラームスと言われるが、私はこれにビートルズを加えて、偉大な4Bと呼んでいた。もう何年前になるだろうか、娘が私の誕生日にCD16枚組の「The Beatles」をプレゼントしてくれた。久しぶりに出してみると、まだセロファンに包まれたままのものもあって、全部を聴いてはいなかったことに気付いた。この娘は以前もマリリン・モンローの映画のDVDセットを誕生祝に贈ってくれたことがある。これも全部は見ていない。老後の楽しみに、と礼を言ったと思うがずっとそのまま、もうとうにその時が来ているのに、である。
 久しぶりに聴いたが好きな曲、The long and winding road や イン・マイ・ライフ、All my loving などは何度聞いても飽きない。このThe long and winding road を聴くと、反射的に財津和夫の「青春の影」の歌詞とメロディが浮かぶ。「君の心へつづく 長い一本道は・・」。
 それにしても50年とは、どれほどたくさんの水が橋の下を流れていったものやら・・・。


●関川夏央『「ただの人」の人生』(文春文庫)を再読。著者はいまや大家となったが、これを書いたころ(1991年)はまだ40代の初め、少しシニカルだけど同時にユーモアや哀しみも感じられる。(開高健を思わせるような) なかにこんな一文がある。


ほんとうのことをいうと、わたしは生きている人がこわいのである。こわいから無愛想になる。無愛想だと評判が悪くなってどうもやりにくい。しかし生きている他人が嫌いなら生きている自分もいやなのである。中年になるとそんな心持ちに誰もがなるものかどうかは知らないが、戦後時代がいや、民主主義がいや、今日ただいまの世間もいやなのである


 20年も前、笑いながらこのくだりに共感したものだ。だが私も生きている人よりも死んだ人のほうが身近という傾向が年々強くなっている。今日ただいまの人よりも1000年前の人の方が親しい。住んでいる京都という町のせいもあるのかもしれない。


Img_6554 7月31日(日)晴れ。長崎県雲仙市に住む友人から暑中見舞いのハガキが届く。「卯の花匂う夏は来ぬ、やがて豊年満作の秋が来たらむ、未だ余震に揺れ、雨に打たれ、この酷暑に耐えています」とあり、しばし熊本、島原に思いを馳せる。長崎の教会群が世界遺産に推薦されることになった。世界遺産登録運動にかかわった人たちはさぞ安堵したことだろう。(Iさん、Hさん、おめでとう) この春、五島列島の教会を巡ってきたが、あの静かな環境がしばらくはかき回されることになると思うと、少し複雑な気持ちになる。観光立国をめざす地元の人たちには申し訳ないが。今回、大阪の百舌鳥・古市古墳群や北海道・東北の縄文遺跡群は落選したが、世界遺産にならなくても価値は変わらないのだからと思うのは私だけだろうか。


 ●佐野真一『だれが「本」を殺すのか』上・下(新潮文庫)を再読。もう15年前に書かれたものだが、本をめぐる状況は変わっていない、どころかさらに悪くなる一方ではないか。本を閉じて、暗澹たる気分になる。


 写真はタイタンビカス。花の大きさは子どもの顔くらいあります。


Img_6562_2  7月30日(土)晴れ。夕方から寺町通にあるギャラリーへ、司修さんの話を聴きに行く。ギャラリーでは26日から司修さんの「宮沢賢治〈賢治の遊園地〉と中上健次〈鳳仙花〉原画」展が開催中で、この日は画家による話があるというので楽しみに出かけたもの。今年80歳になる司修さんは穏やかな風貌そのままのやさしい語り口で、決して饒舌ではないけれど記憶の中から手繰り寄せるようにして作家や学者たちの思い出を語ってくれた。中上健次の「鳳仙花」が新聞に連載されたのは1979年のこと、33歳の中上は暴力的で、エネルギーに満ちていた。東京ではビール瓶で編集者を殴ったりしたが、故郷新宮では別人のようにやさしかったという。宮沢賢治の話もよかったが、『河原にできた中世の町』(岩波書店)という歴史絵本を作ったときの話を面白く聞いた。この本は出来上がるのに7年もかかったという。というのも、共著者の網野善彦と毎月一度編集会議のようなことをやったが、なかなか具体的な形が見えてこなかったから。新宿ゴールデン街での、編集者も加えての打ち合わせ会が7年間続いたが、それは楽しい時間だったという。網野善彦さんは書いたばかりの論文の話をしてくれる、それにまつわる周辺の学説も語ってくれる、網野史観をマンツーマンで教えてもらったわけで、なんと贅沢な時間だったことかと画家は遠い目になった。なんと羨ましいことか。


 会場に展示された「鳳仙花」の挿絵原画や青を基調とする宮沢賢治の世界をたっぷりと観てきました。まさに至福のときでした。司修さんの絵は闇にひそむ輝きを感じさせます。写真はわが書架にある小川国夫『アフリカの死』(集英社 1980年)の表紙。この本のあとがきに「装幀者司修氏は、イメージを掴むためにと種々質問してくれた。いつもながら彼の苦心にも感謝を捧げる」とあります。 


160712 7月28日(木)雨のち曇り。京都シネマで映画『山河ノスタルジア』を観る。ジャ・ジャンクー監督の映画は『プラットホーム』(2000年)、『長江哀歌』(2006年)の二本しか見たことはないが、いずれも深く心に残っている。とくに『プラットホーム』は文革時代の若者たちの姿がリアルに描かれていて、同時代の記憶がある身としては衝撃を受けずにはいられなかった。『プラットホーム』で主役を演じたチャオ・タオはその後ジャ・ジャンクー監督の作品には欠かせない女優となり、この『山河ノスタルジア』でも見事に主役を演じている。映画は過去(1999年)、現在(2014年)、未来(2025年)という三つの時空に分かれて語られているが、20代から50歳までを演じる主役のタオが素晴らしい。ここでも監督の故郷である山西省汾陽の風景ーー歴史を思わせる古い建物や黄河(汾河)の流れーーが印象的に出てくる。経済成長を遂げる中国ではいま人々の間に格差が広がる一方でーーそれは我が国も同じだが、程度は我が国の比ではないーー富裕層は海外に移住して富の温存を図るが、その子どもたちは中国語を話せず、自分のアイデンティティを見失っている。我が国がかつてたどってきた道を見る思いがしたが、母と子の心の交流、郷愁、友情などが切々と伝わった。監督の故郷に寄せる思いの深さが偲ばれる映画。


 帰りてパソコンにwindows10 をダウンロードする。パソコンを開くたびに画面に大きく「無料ダウンロードは29日まで」と出てくるので。 


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