8月6日(土)晴れ。今日は71回目の広島原爆忌。京都のお寺でも鎮魂の鐘が撞かれた。
藤原実資の日記『小右記』治安元年(1021)七月二十五日条を読む。この日、実資は念願の右大臣に任じられ、自邸で大臣大饗を行っている。「太政大臣公季、左大臣頼道、右大臣僕」と日記に記しているが、「僕」という言葉はこのころから使われていたようだ。実資は普段は自分のことを「下官」とか「余」とか書いているのに、よほど嬉しかったのだろう。僕、といえば、亡くなった私の兄は子どものころみんなから「僕ちゃん」と呼ばれていた。近所の男の子たちは「僕ちゃんあそぼー」と誘いに来たし、家族もみんな「僕ちゃん」と呼んでいた。(私は兄を「僕兄ちゃん」と呼んでいた) 兄には修という名前があったのだが。僕兄ちゃんはクラリネットを吹き、ラグビーをやり、社会運動もやって69年の生涯を駆け抜けていった。兄とは15年しかいっしょに暮していないのに、兄の影響でクラシックやJazzに親しみ、ラグビーファンになった。分けられるならこの私の寿命を半分わけてやりたかったものを。
今日から夏休みなので、涼を求めて八ケ岳山麓へ出かけます。今回の旅のお供は友人のMさん推薦の賣平凹『老生』(中央公論新社)。それからいつもの丸谷才一『新々百人一首』(新潮文庫)と清少納言『枕草子』も。では行ってきます。