2021年08月

IMG_4317 8月19日(木)曇り。午前中、松本へ行く。中央道は岡谷JTから伊那北までは不通が続いているが、JTから長野道へは行けるので、出かけることにした。中央道が通れないので、長野から名古屋方面へ行く車が152号線と153号線に集中しているらしい。大きなトラックが離合できなくていずれの道も大渋滞とのこと。明日の朝までに復旧してくれるといいのだが。う回路は未知の道ゆえ心配。とまれこの日は無事に岡谷を過ぎ、長野道を走る。塩尻、塩尻北をすぎれば次が松本IC。いつもお城に上り、開智小学校を見て隣の県立図書館を覗くのだIMG_4299が、今回はお城も図書館もなしで、古い城下町を散策することに。お城のまわりには蔵づくりの町(中町)やレトロな街並みが残る町(上土)など散策に楽しい通りがいくつも残っている。中町の駐車場に車を停めて、しばし散策。以前訪ねた民芸の店へ寄って、各地の工芸品や家具を見る。小鹿田焼や朝鮮唐津の逸品あり。しかしもうモノはいらない。旅先ではなおのこと。蔵づくりの町の景観を統一したのは20年ほど前のことだという。どの家もほどよく寂びて本物感があるのがいいのだろう。工芸の店が多いのも楽しい。ついつい覗いてIMG_4332は長居をしてしまう。松本では毎年この時期に小沢征爾によるフェスティバルが開催されるのだが、コロナのせいで、今年もついに中止となった。ぎりぎりまで待っていたようだが、感染の広がりを無視できなかったのだろう。国内外からの演奏者たちも、全国各地からやってくる聴衆たちもさぞがっかりしたことだろう。もちろん一番残念に思っているのは地元松本ではないか。
 帰途、諏訪湖のほとりにある片倉館に寄る。ここは1928年に地元の豪商片倉家が地域の福祉施設として建てた温泉浴場。とても銭湯とは思えぬ洒落た外観で、建物は現在国の重要文化財に指定されている。千人風呂と言う名があるが、実際には百人程度が入れるものだという。見ている間にも次々と地元の人たちがやってきて、中へ入っていく。「見学できますよ。ここはテルマエ・ロマエという映画のロケ地にもなった」と親切に教えてくれる人もいた。なるほど昔の財閥は富を社会に還元していたのですね。
 最後の夕食はまたもやウナギ。明日帰ります、と言うと女将さんが「また来年待っていますよ」。この店は11月から4月まで休むそうだ。冬場は別荘に来る人も少ないから、と。ホテルに戻って荷造り。この涼しさともお別れかと思うと寂しくなる。高速道路の復旧が気になるが、早めに就寝。
 写真上は松本市中町。中は民芸家具の店内。下は諏訪市にある片倉館。
 

IMG_4270 8月18日(水)小雨。午前中、甲斐小泉駅そばにある平山郁夫シルクロード美術館へ行く。瀬戸内出身の画家の美術館は尾道の生口島にあるのが有名だが、このシルクロード美術館も充実している。中に入ったのは今回が初めてだが、シルクロードを描いた大作が部屋いっぱいに展示されていて、それは迫力があった。著作権は館にあるので、写真撮影がOKというのもいい。若い頃のスケッチやアトリエなど興味深く見てきた。広島で被爆した平山郁夫は病に苦しみながらも夫人と共に150回以上もシルクロードを旅している。日本文化の源流を求める旅IMG_4265の中から数々の作品が生まれたのだろう。私はこの人の作品では1959年、画家29歳の時に描かれた「仏教伝来」が好きだ。館内には画家が西域で集めた仏像や工芸品などが展示されている。ガンダーラ仏といわれるギリシア彫刻にも似た仏像を見ていると、遠い昔の東西文化の交流が思われた。画家が持ち帰らずにそのままかの地にあったら、これらの仏像や彫刻はバーミアン大仏のような目に遭っていたのではないか。文化財を海外に持ち出すことについては疑問もあるが、救われたという点も否めない。仏像IMG_4286に見入りながら、そんなことを考えた。
 美術館を出たあと、明野町のひまわり畑へ行く。毎年楽しみにしている場所だが、今年はコロナのせいで規模が縮小。訪れる人もパラパラで、花はとみれば小さな品種で例年のような明るさがない。それでも花畑に入ってパチリ。帰途立ち寄ったが、高根の図書館も休館中、同じ館内にある浅川伯教・巧兄弟資料館も休館中で入れず、残念だった。
 この日初めて須坂の町を車で通ったが、古い家並が続くいい雰囲気の町だった。町にある若神子城址は甲斐源氏(武田氏)発祥の地とされている。「甲斐国志」によると、城主は甲斐源氏の祖にあたる新羅三郎義光だという。このあたりの歴史には暗い(他に明るいわけではないが)のでそうなのかと思うしかない。いやまこと甲斐の国は武田氏オンリーでした。
 写真上と中は平山郁夫シルクロード美術館で。中はアトリエを再現したもの。下は明野町のひまわり畑。

IMG_4250 8月15日(日)雨。今日は76回目の敗戦記念日。各地に豪雨被害あり、天竜川、千曲川は危険なほど増水しているというニュース。土砂崩れのためあちこちの道路が不通となっているが、中央高速道路も小淵沢から中津川までが不通となった。私たちが京都へ戻るまでに復旧してくれるといいのだが。敗戦記念日というので、持参した『断腸亭日乗』と高見順の『敗戦日記』を再読。今年はじめには昭和を語り続けた半藤一利さんが亡くなった。日本人にとってあの戦争は何であったか、夏だけでなく常に問われるべきだと半藤さんは言う。戦争の記憶が失われるのを心配し、記憶の継承の大切さを語っていた。大事なこの日だが、式典における政治IMG_4200家の言葉の空疎なこと、全く心に響くものがないのは本当に残念なことだ。彼らを見ているとつくづく人は歴史に学ばない・・そう思われてならない。
 八ケ岳倶楽部でランチ。ここは俳優の柳生博さん一家が経営する倶楽部。柳生さんは雑木林を開拓し、いまのような森に変え、そこにレストランやギャラリー、雑貨店などを設けた。八ケ岳でも指折りの人気スポットで、いついっても賑わっている。柳生さんは最近まで野鳥の会の会長だった。ここにもたくさんの巣箱があり、高い木の上で小鳥たちが囀りIMG_4235あっている。定番のランチとやはり人気のフルーツティをいただくていると、柳生さんが来て日本ミツバチの巣を見ませんかと言う。食後、木の上の見事な巣を眺め、アトリエに入って水彩展を観る。
 夜、長崎の友人よりラインで、精霊流しの動画が送られてくる。コロナで数は減ったが、例年通り見事な船が出ている。長崎も雨かと思いながら繰り返し動画を再生す。祖父母の精霊船もだが、高校時代に見送った同級生Y君の精霊船が忘れられない。被爆二世だったY君は4月に急逝骨髄性白血病を発病し、その2か月後に亡くなった。同学年のみんなで輸血に通ったが、紫斑がでてからはあっという間だった。8月15日の夜、幼馴染や中学、高校の友人たちに担がれた精霊船は清らかで無垢、だが自分の病気を納得できないまま亡くなったY君の無念を思うといまもやりきれない。
 写真上は八ケ岳倶楽部のギャラリー。中は名物フルーツティ。何種類もの果物が入っています。下は散歩中に見かけたソバナ。(ツリガネニンジン?)
 

IMG_4239 8月13日(金)雨。西日本は豪雨に見舞われ、あちこちで浸水、土砂崩れの被害が出ている模様。九州に住む義妹たちに電話で様子を尋ねる。幸いみんな平常だというので安心したが、コロナの方は収まるどころか感染が増すばかり。あらたに緊急事態宣言が出て、山梨県の公共施設はほとんどが臨時休館となった。これから行こうと思っていた山梨県立美術館や博物館、文学館など行けなくなった。近くの町の図書館も郷土資料館も軒並み休館。やれやれ、夏休みに利用できなくなって、子どもたちは本当に気の毒。仕方がないのでリゾIMG_20210819_173017ナーレ八ケ岳のブックカフェへ行き、本をいくつか仕入れる。リゾナーレにはアスレチックがあって、この日は子どもたちがクライミングウオールやジップなどに歓声をあげながら挑戦していた。木から木へ綱の梯子を渡るところでは、子どもは早いが父親のほうは体重がかかる分渡りにくいのか悪戦苦闘している様子、思わず「頑張って」と応援してしまった。
 夕食をホテル近くの鰻店でいただく。珍しく関西風焼でお気に入りの店なのだ。週の半分しか営業していない(木曜日から日曜日まで)ので、予約が必要。メニューはうな丼、白焼き、長焼き、そしてうなぎピザの4種類のみ。このうなぎピザが絶品なのだ。京都に店を出しませんか?と毎回言いたくなる。
 夜、雨の状況はいかがかとTVニュースを見る。各地に水の被害続出、この雨でホテルはかなりキャンセルが出たらしい。気のせいかラウンジも人気なく静かだった。
 写真上はリゾナーレ八ケ岳のアスレチック。下は「森のやまびこ」のうなぎピザ。

IMG_4224 8月11日(水)晴れ。朝、よく晴れていたので八ケ岳を撮ろうと平沢峠へ行く。峠の駐車場へ着くともう車がいっぱいで、みなさん飯盛山へ向かう様子。小さな子ども連れや私より年長らしき女性のグループあり、ついつられて登山道へ。行けるところまで行ってへたったら引き返そうと言いながら登っていく。途中降りて来る人と擦れ違うたびに、「あとどれくらいですか?」と尋ね、「まだまだ、頑張って」と言われてがっかり。木々に覆われた山道を登ること1時間余、ようやく草原の尾根道に出る。広々と視界が開け、南アルプスが目の前にひろがる。上る時は必死で何も目に入らなかったが、下り道でフシグロセンノウやシモツケソウなどを見る。峠の周辺は山野草の宝庫で、マツムシソウ、ワレモコウ、トラノオ、フウロソウ、ソバナなどが花盛りだった。さて、目的の飯盛山はどうだったか、実は尾根道IMG_4228まで行ってすぐ向こうに飯盛山を見たのだが、それでもう満足して山頂まで行かずに下山したのだ。なんとも軟弱なこと。
 平沢峠から八ケ岳を望む。真ん前に清泉寮やその上に清里スキー場(サンメドウズ)が見える。リフトで1900mの山頂まで上り、雄大な眺望を楽しみながら清里テラスで憩うというのがいま人気らしい。(琵琶湖テラスと同様に) ここには毎年行っているので今回はパス。人気スポットはどこも人出多く、なるべく密は避けたい。
IMG_4232 峠を降りて小淵沢の道の駅へ行く。ここの手打ちそばが美味しいと聞いたので。行列が出来ていたが、辛うじて間に合った。だが店内に入ってからずいぶん待たされる。「延命そば、地元の女性たちが心をこめて手打ちしています」というメニューの文字を見て、「心をこめなくてもいいから、早く食べさせてほしいなあ」と隣席の男性がつぶやく。この日の蕎麦は私たちで終わり、食べている途中でのれんが外され、カーテンが閉められたのにはびっくり。でも評判に違わぬ美味しさでした。
 写真上は平沢峠。中は飯盛山への途中にある尾根道。向こうに南アルプスの山々が。下は飯盛山(めしもりやま 1643m)。秩父山地の最西端に位置します。背後の山々は奥秩父の金峰山や瑞牆山などです。

IMG_4193IMG_4192 8月10日(火)晴れ。白州の里にある尾白川渓谷へ行く。サントリーの白州工場が近くにある水の宝庫。甲斐駒ヶ岳神社を目指して行けばいいと教えられて車を走らせる。南アルプスは晴れているが、甲斐駒ヶ岳の辺りだけが雲の中。渓谷に着くと、川遊びと登山の客がいっぱい。ここは甲斐駒ヶ岳の登山口でもあるのだ。定員5名という吊り橋を恐る恐る渡るとそこが登山IMG_4188口。昨日登って一夜を山上で過ごした登山客たちが次々に降りて来る。なんとも元気なこと、私は毎朝、標高差100mを上下するのにふうふういっているのだ。川遊びをしている家族たちは「水が冷たい」といいつつもバーべキューの準備に余念がない。キャンプキットもしっかり揃えて、最近の若い人たちは遊び上手だと感心する。
 八ケ岳と南アルプスの間の谷間には釜無川が流れ、その傍を中央高速道と国道20号線、JR中央本線が走っている。いつも八ケ岳側で過ごし、釜無川を越えることは滅多にない。甲斐駒ヶ岳神社へIMG_4199行ったのは今回が初めてだった。帰り、R20(甲州街道)沿いの台ケ原宿にある七賢という酒蔵に寄る。古い造り酒屋だがいろいろ新しい試みをしていて、酒蔵のレストランが好評だという。ホテルのスタッフから薦められていたのを思い出して入ったら満員、1時間待ちというので諦め、八ケ岳倶楽部でのランチに変更す。
 この日は何故かあちこちから電話やメールがあり、しばしこの世に引き戻される。あれこれ宿題多し。
 写真上は尾白川渓谷の吊り橋と川遊びの人たち。中は甲斐駒ヶ岳登山口。下は七賢酒蔵の中にある本売り場。場所柄信玄公に関する本が目立ちます。

IMG_4164IMG_4167 8月9日(月)曇り、時々小雨。朝、外気は16℃。今日は長崎原爆忌。11時2分はどこにいるかわからないので、朝食前に部屋で黙祷す。以前、長崎にいたころ、修学旅行生の平和学習の手伝いをしたことがある。生徒たちを被爆地に案内し、被爆遺構の前で被爆者の体験を聞くというものだが、事前学習がよくなされた学校の生徒たちは真面目で熱心に耳を傾けていた。当時、体験を語ってくれた被爆者の方たちの殆どはもう亡くなられた。被爆者救済がなかなか進まないのを嘆いたKさんの、「国は被爆者がいなくなるのを待っているのです」という言葉が忘れられない。
IMG_4173 この日は安曇野へ出かける。まずは穂高にある碌山館へ。ここへ初めて来たのは1976年のこと、当時、穂高駅のそばにポツンとレンガ造りのこの建物があった。そのころ臼井吉見の『安曇野』(筑摩書房)を読んでいたく感動した覚えがあり、碌山美術館は憧れの場所であった。相馬黒光がモデルといわれる「女」にも衝撃をうけた。久しぶりに訪ねたが、周りの畑や田圃は学校や商業施設に変わり、新しい道路は全国チェーンの店が立ち並んで、安曇野はすっかり町になっていた。ここには臼井吉見の文学館もあるが、この日は寄らIMG_4160ず。(4年ほど前訪ねたことがある) 
 信州に来たのだからと碌山館の目の前にある蕎麦屋に入る。先客の前に運ばれてきた蕎麦を見てびっくり。なんと大鉢に山盛りのソバ。聞くと500グラムもあるのだという。後から来た親子はその「大」を一つ頼んで、シェアしていた。われわれは普通のざる蕎麦を頼んだのだが、それでも他の店のものの2倍近くあった。安曇野おそるべし。
 北アルプスの麓にはたくさんの美術館や博物館があって、安曇野アートラインという地図もある。ちひろ美術館やジャンセン美術館、田淵行男記念館などよく知られているが、山岳美術館も愛好家に評判のミュージアムだ。ちょうどいま足立源一郎と吉田博という二人の山岳画家の作品展をやっているというので、覗いてみた。どちらも初めて見る画家だったが、素晴らしかった。とくに吉田博の作品はいずれも版画だがその繊細な美に見入ったことだ。
 帰途、田圃アートを見る。この地出身の力士(御獄海)を描いたもの。田圃アートといえば、これまで見た中では青森の田舎館村のものが一番。
 写真上は碌山美術館と「女」像。中は山岳美術館のポスター。下は田圃アート。

IMG_0122 8月8日(日)朝、窓の外は真っ白の霧で視界ゼロ。朝食をとるころ霧は晴れたが小雨が降っている。今日は遠出をやめて近くの図書館へ行くことにする。北杜市にはいくつか図書館があるが、一番近いのは大泉の金田一春彦記念図書館。言語学者がこの村に山荘を持っていたことから、没後その蔵書2万冊余を寄贈された町が図書館として整備したもの。館内に金田一春彦の蔵書や研究資料を収めた「ことばの資料館」がある。小さな図書館だが、「ことば」にこだわった本のコーナーがあり(国語辞典が網羅されているところ、井上IMG_4146ひさしの書斎のよう)なかなかユニーク。開架書棚から『冥誕 加藤周一追悼』(かもがわ出版)を取り出して読む。加藤周一が亡くなってもう13年になるのだ。この人の『日本文学史序説』を夢中になって読んだのはもう40年も前のこと。まさに往時渺茫という感じ。
 図書館を出たあと、新刊本を探しに小淵沢のリゾナーレ八ケ岳へ行く。星野リゾートのホテルで、この中に洒落たブックカフェがあるのだ。居心地がいいのでパソコンを持参してコーヒー片手に仕事をしている人もいる。書棚の本はリゾーIMG_4147ト地で読むのに相応しいアイテムがよく選ばれていて、楽しい。野の花、野鳥など自然に関するもの、辻まことや串田孫一など山の文学、伊丹十三や村上春樹など軽妙なエッセイ集、映画、落語、星野道夫の本もかなりある。そうそう平松洋子や阿川佐知子、向田邦子の本も揃っていて、もちろん武田百合子の本も並んでいた。そういえば八ケ岳周辺で本屋を見かけたことがない。本屋だけでなく、小さな食料品店も。もちろん食品市場はある。図書館の近くにある「ひまわり市場」には何でもある。別荘の避暑客が買い出しに来るので、いつも駐車場は首都圏ナンバーの車でいっぱい。品揃えもなかなかで、紀伊国屋や成城石井を凌ぐのではないかと思われるほど。地元の日本酒やワインも並んでいて、この日は千曲川のワイナリーのものというシャルドネが出ていた。
 ここは夏を過ごすのには最高の地だが、どこへ行くにも車がいる。一番近いスーパーマーケットといえば高速の長坂インターを出てすぐのところにあるkiraraで、ここへ行けば食品、衣類、薬品、小さいながら本屋もあるので、一応用は足せる。だが車を運転できない人はどうしているのだろう。いたる所にあるコンビニがスーパーの役目をはたしているのかもしれない。
 リゾナーレのプロムナードに朝採りのトウモロコシが出ていた。糖度19もあるスイートコーン、一本350円。早速購入し、ホテルに戻って試食。その甘いこと、生トウモロコシを食べるのは北海道で体験して以来のことだった。
 写真上は金田一春彦記念図書館。入り口に博士の像あり。中はリゾナーレ八ケ岳のブックカフェ。下は朝採りとうもろこし売り場。

IMG_4142 8月7日(土)晴れ。山岳ガイドのHさんから「八ケ岳が一番きれいに見える撮影スポット」と教えられた平沢峠(標高1450m)へ行く。野辺山の国立天文台(宇宙電波観測所)のすぐ近くにある峠で、行ってみると広い駐車場に車がたくさん停まっている。そのわりには人影がないのを訝しく思っていたら、山手の方から登山客が下りてきた。聞くと「飯盛山まで行ってきた」とのこと。近くに案内板があり、ここが飯盛山(1643m)への登山口だとある。往復3時間、子どももお年寄りも登れるハイキングコースだとあるIMG_4131が、この日はパス。平沢峠は佐久甲州街道(旧佐久往還)にあり、江戸時代には数軒の旅籠があったという。いまは国道141号線が通じて峠道は忘れられたようだが、峠の広場は八ケ岳の絶景ポイントとしていつも賑わっているそうだ。この日は八合目くらいから上に雲がかかり、峰々を見ることができなかった。
 峠を降りて少し先にある八ケ岳高原ヒュッテへ行き、芝生のカフェでコーヒーブレイク。この建物は尾張徳川家19代当主だった徳川義親が1934年、目白に建てた家。ここに移築さIMG_4126れてからはホテルとして使われていたが、いまはレストラン、ギャラリーなどとして利用されている。かつて「高原へいらっしゃい」というTVドラマのロケ舞台にもなったそうだ。チューダー様式の美しい建物で、2階のギャラリーではいま木製のバッグが展示中だった。建物は最近修復工事を終えてきれいになったが、大きなリョウブなど庭の木がいくつも消えていたのが残念。(強風で倒れたのかも)
 ホテルに戻るとチャペルでTVドラマの撮影中。スタッフ50人余が滞在して、1週間がかりでロケをやっているのだ。主役の男優はTVでよく見る人で、遠くからでもさすがにオーラがある。チェックインした日はホテルの入り口でロケがあっていたが、主役の声がよく響いていた。放映は来年の1月というからまだまだ先の話。
 ホテルの図書室に個室のブースが出来ていた。リモートワーク用にというがだがはたして利用者はいるのかしらん。旅先ではパソコンも見ないし、新聞も読まない。滅多に電話もかからないからまさに「out of this world」(この世の外で)という気分なのです。
 写真上は平沢峠にある分水嶺の標識。ここから北側が千曲川に合流して日本海へ、南側は静岡から太平洋へと流れていくのでしょう。中は八ケ岳高原ヒュッテ。下はTVドラマの撮影風景。京都ではお馴染みですね。

IMG_4112 8月6日(金)晴れ。朝5時起床。外気は18℃。今朝も富士山と南アルプスがきれいに見える。だが甲府盆地は白い雲の中。近くの駅まで散歩に出る。ホテルは標高1000mのところにあるのだが、駅がある場所ははさらに高く1158m。緩やかな傾斜をぼちぼち上っていく。いろんな小鳥のさえずりがしきりに聞こえる(姿も見える)のだが、名前がわからない。ホーホケキョのウグイスと、チョットコイのコジュケイはわかるのだが。駅までの道の両側は開けていて、新しい建物が増えている。別荘用なのか、定住用なのか、リモートIMG_4109ワークになって八ケ岳に家を持つ人が増えたらしい。そういえば上野千鶴子さんも八ケ岳に家を建てて仕事場にしているという。林の中の別荘地には真新しい家の近くに、朽ち葉に覆われた人気のない家や放置されて長いのか崩れかけた家がかなりある。森の中は暗く(冬は樹々の葉が落ちて明るくなるのかしら)湿り気があって、夏でもストーブが要りそう。そういえばどこの家にも煙突があって、外に薪が積んであるところをみると、薪ストーブは人気があるのだろう。道路沿いにも薪を売る店が目立つ。よろよろと辿り着いた無人の駅IMG_4118舎で一休みしたあとホテルへ戻る。帰りは下り坂なので足取りは軽い。ツリガネニンジンやツリフネソウ、センニンソウなどの花を見る。
 今日は広島原爆忌。朝食を早めに済ませて、8時15分に黙祷す。
 朝、富士山がきれいに見えたので、今日はその近くまで行ってみようと、中央道で山中湖まで行く。以前も訪ねた三島由紀夫文学館に寄り、湖畔を一周したあと忍野八海へ。インバウンドが消えて土産物屋は手持無沙汰のようだが、私たちには静かで有難い。忍野から旧鎌倉往還道を通って河口湖へ。夏休みに入ったせいか湖上には舟遊びの人がいっぱい。湖を時計周りに巡って、御坂道から帰途に着く。武田百合子の『富士日記』は富士山麓にある別荘での日々を記したもの。当時は道路状況がいまほどよくなかったから、ドライバーの百合子は苦労したことだろう。夫の泰淳にも『富士』という大作があるが、百合子の『富士日記』の方が読まれているのではないか。(私も年に何度か読み返す。)
 写真上は山中湖から見た富士山。中は三島由紀夫文学館。去年が三島の没後50年で、宮本亜門を案内人にした展示が公開中だった。(楯の会の制服はいまだけの展示)。三島由紀夫とは縁はないが、山中湖村が熱心に誘致して文学館がここに出来たそうだ。私にはこの作家がまだよく分からない。(好きではないのは確かなのだが、気になるのは何故かしらん) 下は中央道韮崎辺りから見える八ケ岳。

IMG_4067 8月5日(木)晴れ。八ケ岳に行くと言ったら「おすすめの場所」と信州出身の友人が教えてくれた童話館と美術館に行く。一つは岡谷市にあるイルフ童話館で、もう一つは原村にある小さな絵本美術館。友人は子どもの本の専門家なのだ。イルフ美術館は諏訪湖のそばにあった。大正・昭和に活躍した童画家武井武雄(1894~1983)の絵、版画、本、装丁、造本などが展示されていて、その多彩な仕事ぶりに圧倒された。ふと竹久夢二の仕事ぶりを連想したが、ジャンルが異なるか。イルフは古いを反対から読んだもの、新しいものを追究し続けた画家の命名らしい。近くのビルや通りにイルフの名がつけられていて、町づくりの一環として童話館もあるのかと思われた。展示品の中身は色濃く、装丁本や細工物など、こんな人がいたのかと驚きながら見て、飽きなかった。
IMG_4086諏訪湖から原村へ行く途中、信州風樹文庫へ寄る。諏訪市立図書館の一つで、戦後から岩波書店が刊行する全図書の寄贈を受けている。昭和24年からは三省堂からも寄贈されているそうだ。本館の2階に岩波書店の創業者岩波茂雄の記念室がある。毎夏、ここを訪ねるのを楽しみにしているのだが、今年はコロナのせいで、入り口で「滞在は一時間内に」と言われた。新刊図書コーナーを見、全集の棚を眺め、新書の背文字を読む。信州出身の友人は、この図書館で育ったという友達の話をしてくれたが、風樹文庫で育ったとはなんとIMG_4093幸せなことだろう。外へ出ると品川ナンバーの車から熟年の男性たちが降りるところだった。「ここだ、ここだ」と言い合っているところを見ると、風樹文庫と知って訪ねてきたものらしい。岩波少年文庫で育った世代かなと思ったことだ。
 小さな絵本美術館は原村の林の中にあった。周りは緑に包まれた別荘地。ちょうど「スイス絵本の世界」展が開催中で、クライドルフ、フィッシャー、ホフマンの三人の原画が展示されていた。「こねこのピッチ」のフィッシャーと「おおかみと七ひきのこやぎ」のホフマンは知っていたが(それきり知らない)、花を擬人化したクライドルフの絵は初めて見た。いずれも原画は素晴らしく、長く愛される理由がわかる気がした。ここには自由に読める図書室があり、数組の親子が思い思いに寛いで読書中だった。風樹文庫といい今日訪ねた動画館や絵本美術館といい、信州の子どもたちは恵まれた環境にいるなあと思ったことだ。
 写真上は岡谷市にある「イルフ童話館」。中は諏訪市の信州風樹文庫。新書の棚。懐かしい本にたくさん再会しました。下は原村の小さな絵本美術館の図書室。小さいけれどそれは本格的な絵本館です。
 

IMG_4055 8月4日(木)晴れ。今朝も窓から朝焼けの中に浮かぶ富士山を見る。外気は16度。朝食後、前回訪ねたワインの醸造所を再訪しようと小諸へ向かう。一昨年、軽井沢のホテルでソムリエに勧められ、美味しく飲んだ「ソラリス」という名のワインを作っているワイナリー。途中、小諸の城址にある懐古園に寄る。ここも人影なし。入り口そばにある懐古館に小諸の歴史が展示されていたが、貴重なものとはいえ古色蒼然、歴史館の展示方法にいささか疑問を覚えました。信玄が佐久地方を制圧しこの城を拡張整備したそうだが、その後入城した千石氏によって現在IMG_4064の姿になったとのこと。(この千石氏、のちに出石に移り、出石に蕎麦を伝えたと言われています)。城内を散策し、藤村記念館や小山敬三美術館を見学。小山敬三はこの地出身の洋画家。裕福で画家としての資質にも恵まれ、故郷を描いたおおらかな作品を多く遺している。
 美術館で時間をとられ、園を出た時は午後1時を回っていた。園の前にある「草笛」という蕎麦屋に入って昼食。この店おすすめの「藤村そば」をいただく。でてきたのを見るとなんと、蕎麦の上にワカメ、くるみだれ、ネギ、とろろ、リンゴの天ぷら、野菜のかき揚げ、山菜などがたっぷり乗った何とも賑やかなお蕎麦でした。
 暑いなか、広い園内を歩いてぐったり。ワイナリーから上田にある信濃国分寺へ回るつもりだったが、暑さには勝てず、ホテルへ戻ることに。佐久小諸JCから八千穂高原まで中部横断自動車道が通って便利になった。有難いことに現在はまだ無料。
 写真上は今朝の富士山。手前の山は茅ケ岳。深田久弥の終焉の地で、記念館や碑があります。下は小諸で食べた「藤村そば」。小諸なる古城のほとりでいただきました。
 

IMG_4028 8月3日(水)晴れ。朝、南の窓から富士山がくっきりと見える。西側には南アルプスの山々が。外は16度と肌寒いほど。京都では猛暑のため外歩きなどもってのほかだったが、この涼しさなら外出もOK。というので茅野市にある尖石縄文考古館まで行くことに。ここには国宝土偶が二つもあるのだ。茅野市までは隣の富士見、原村を通って車で40分ほど。前回は夏休みの親子連れで賑わっていたが、この日は閑散として人気がない。コロナのせいでカフェも休み、開いているのは展示室のみで、ビデオルームも閉鎖、学芸員たちによる講話もなかった。だがおかげでゆっくりと展示物を見ることができた。数千年前、ここに暮らしていた人たちが、どんな気持ちでこの土偶を造ったのか、土偶だけではない、あの豊かな装飾土器をどんな思いで造ったのか・・縄文土器を見るたびに、数千年前の人たちから語りかIMG_4025けられているような気がする、彼らからいまに続く命というものを思う、生きることがすべてだったであろう人たちのことを。
 尖石縄文考古館を出て、向いにある康耀堂美術館へ行く。ここはある電気会社の会長が自分のコレクションをもとに創った美術館だが、2005年に京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)に寄贈された。高山辰雄の作品が中心で、山口薫や宮本三郎などもある。初めて入ったが、静謐で清らかな空間が印象的だった。
IMG_4041 このあと蓼科方面に向かい、途中にある御射鹿池へ寄る。東山魁夷の「緑響く」のモデルとなった池で、青い水が神秘的。画家はこの風景の中に架空の白馬を置いた。
 毎朝部屋の掃除をしてもらう間、ホテルのラウンジや図書室で過ごしてもいいのだが、折角だからあちこち出かけることにした。八ケ岳は縄文の宝庫。黒曜石の宝庫だから遺跡の多さも格別。犬も歩けばではないが、車で走れば遺跡に当たる・・という感じ。やたらと美術館が多いのも同じで、ぼちぼち訪ねることにしましょう。
 写真上・中は尖石の縄文土偶。上は縄文中期(縄文のビーナス)。中は後期(仮面の女神)。下は御射鹿池。

IMG_0030 8月2日(月)晴れ。コロナ禍でずいぶん迷ったが、予定通り今日から八ケ岳へ出かける。夏の八ケ岳行は我が家の恒例行事だが去年はコロナで中止した。今年は山の方が密を避けられるのではないかというので、敢行。目的地までは名神~中央道を経由して約340キロの道のり。朝6時過ぎに出発し、途中、多賀、恵那、駒ヶ岳、諏訪の各サービスエリアで休憩しつつ昼前に目的地に到着す。車を降りて空気の爽やかなこと、何とも言えぬ涼気に嬉しくなる。この涼しさがなによりのご馳走なり。早めに部屋に入ってしばらく休憩したあと、山の方へドライブ。川俣川に架かる大橋を渡り清泉寮へ向かう途中、草原に鹿の群れを見る。数十頭はいるだろう。標高1400mのところにある清泉寮は清里開拓のシンボルともいえるもので、1938年に日本聖徒アンドレ同胞会の青少年指導訓練所としてポール・ラッシュによって創設されたもの。日本の避暑地は軽井沢や雲仙、上高地など外国人によって拓かれたところが多いがここも然り。私のお目当ては隣接する「八ケ岳自然ふれあいセンター」で、ここで高原の自然観察を体験できるのが楽しみなのだ。山野草、野鳥、昆虫などに会い、しばし童心に帰る。
 このあと、清里の萌木の村を散策し(名物レストラン「ROCK」は行列ができていました)、O牧場で馬たちに会ったあとホテルへ戻る。夕食のとき、顔見知りのスタッフたちから次々に「お元気でしたか」と挨拶される。ホテル専属の山岳ガイドHさんも健在で、「今年はトレッキングなどどうですか」などと怖ろしいことを言うので、ひたすら勘弁、勘弁と応える。例年この時期ホテルは満員でキャンセル待ちなのだが、この日の客は80%ほどか。駐車場は東京、横浜など首都圏ナンバーの車が大半だった。
 今回の旅のお供は、竹内理三『日本の歴史6 武士の登場』(中公文庫)、荷風『断腸亭日乗』(岩波文庫)、高橋典洋・五味文彦編『中世史講義』(ちくま新書)、高見順『敗戦日記』(文春文庫)。中世は私にとって分かりにくい時代、殺し合いが続くのが嫌なのかもしれないが(同じ理由で幕末も嫌)何度読んでもすんなりと頭に入らない。今回滞在する北杜市は甲斐源氏の故郷で、また今年は武田信玄の生誕500年というので町には「風林火山」の幟が目立つ。夜、「武士の登場」を再読。
 写真はホテルの北側の窓から見える八ケ岳連峰。一番高いのが主峰の赤岳(2899m)です。 

IMG_4007 8月1日(日)晴れ。毎年夏になると読み返す本がある。佐多稲子『樹影』、福田須磨子『われなお生きてあり』、野呂邦暢『失われた兵士たち』などだが、今年はハンス・リヒター『あのころはフリードリヒがいた』を読んだ。第二次世界大戦前後のドイツで暮らすユダヤ人一家の運命の変遷を描いたもの。ヒットラーが台頭し、ユダヤ人排斥が始まるその過程が詳細に描かれている。戦争はある日突然始まるのではない、それまでに時間をかけて予兆がやってくるのだということを再認識させられた。これは少年の目で書かれているが、描写は冷静で物語というよりドキュメンタリーそのもの。作者が見たままをつぶさに記したのではないかと思われるほど。巻末にドイツにおける第二次世界大戦前後の詳細な年表が添付されていて、ああ、これはもう一つの『アンネの日記』だなと胸潰れる思いがした。ユダヤ人排斥に従わざるを得ない市民の姿、やがて進んで排斥運動に手を貸す人たち、良心を売り渡し、保身のためなら密告、裏切り、差別、排斥、なんでもござれの現実に、「戦争は人間を堕落させる」という野呂邦暢の言葉が思われてならなかった。1985年、終戦から40年の年に西ドイツのヴァイツゼッカー首相が行った演説を思い出す。首相は戦争中ドイツが行ったユダヤ人迫害を反省、謝罪し、「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」と説いた。この首相の言葉を胸に刻んだドイツ国民を偉いと思う。
 広島の被爆者による「黒い雨裁判」、空襲による犠牲者たちへの補償裁判などの記事を新聞でみるたびに、未だに戦争は終わっていないと痛感させられる。戦争で亡くなった人たちはみな等しく戦死者なのに、軍人軍属と一般市民との間にある扱いの差の大きさ、冷酷さに唖然となる。市民はまさに犬死なのだ。戦後生まれで戦争の記憶は全くないが、「そのために人間には想像力があるのだ」と説いた恩師の言葉が思い出される。「君たちには想像力があるだろう、戦争がいかなるものか考える力が。戦後生まれだから知らないとは言えない」と。その恩師が逝ってもう5年になる。先生の口癖に「真理の前に人はみな平等」というのがあった。先生はクリスチャンだったから、「真理はわれらを自由にする」というイエスの言葉を連想したものだ。

 写真はフランクル『夜と霧』、ヴィーゼル『夜』。奇跡的に生還した二人による強制収容所での体験記。あまりの惨さに人間であることに絶望したくなるが、真実から目を逸らさないことの大事さを思う。果たしてこれは過去のことだろうか、程度の差こそあれ似たようなことが世界のどこかで起きてはいないか・・・などと思いながら再読す。 

 明日からしばらく京都を留守にします。「洛中日記」も夏休みとなります。ではみなさまいい夏をお過ごしください。

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