IMG_3502 3月23日(火)晴れ。朝、CT検査のため病院へ。怖がりなので、できるだけ病院へは行きたくない。検査を受けて変な病気がみつかったらどうしようといつも怖れているのだ。見つかった時は「手遅れです」ということになったらどうしよう、でもその時はその時、「What will come , will came」といつも言っているくせに、肝心の覚悟ができていないのだ。こわごわ検査を受ける。検査の結果、いまのところなんとか無事らしい。少し元気が出たので、気になっていた桜に会いに千本釈迦堂へ行く。もう8分咲きというところだろうか。枝に手を差しIMG_3537伸べて、「今年も無事に会えましたね」と挨拶す。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、あと何回この花に会うことができるだろうか。
 北野白梅町から嵐電に乗って嵐山へ。天龍寺の桜を見に行く。車内は観光客らしき若い人でいっぱい。着物姿の女性たちに交じって、卒業式帰りの親子連れの姿も。3週間ほど前歩いたときは、観光客はまばらで、ほとんどの店が閉まっていたが、この日はコロナ前に戻ったような賑わい。
 天龍寺のしだれ桜はいまが見ごろだった。「琴、花、酒のあるものを とどまりたまへ旅人よ」、いつまでも花を見上げていたいものだが。
 緊急事態宣言が解除されたせいか、我が家には関東からの来客が続いている。大学も企業もようやく出張が解禁になったのだろう。春休みで子どもたちも来るという(実は既に一人、春休みで居候中の子がいるのだ)。やれやれ。
 ●『遠藤周作全日記』の1962年4月11日条に、「日本の現代作家の日記では、荷風のそれに及ぶものはないように思われる。しかし荷風の日記は時代や風俗の変遷とこの作家の生活態度にたいする興味は読者にみたしてはくれるが、「三田文学」に連載されたグリーン(ジュリアン)のもののような感動を与えない」とある。「ジュリアン・グリーンの日記は、一人の作家の長い人生にわたる精神の思索の発展がしみいるように読者につたわってくる」と。この全日記は創作日記でもあり、とくに晩年の長編「深い河」を書くために読んだ本の記録などは興味深いものがある。仏教とキリスト教の接点、キリスト教の根拠と本質を探るーーそのために密教の本をよく読んでいる。作家にとって読むことと語ることは車の両輪のようなもので、創作には欠かせないようだ。
 写真上は千本釈迦堂の桜。下は天龍寺のしだれ桜。遠くの山は比叡山です。