3月25日(月)雨。昨日、本居宣長の『在京日記』を読んでいたら、宝暦6年(1756)3月の条に、こんな一文があった。(濁点をつけて写します)「三月 三日の朝は雪降りて、さむきことはなはだし。上巳に雪のふることはいとめづらかなり。雪は朝ばかりにてやみぬ、さすがつもるとはなし。ひねもす風ふきしぐれたちて、霜月のころの空のごとし、又正月こそきぬらんなど、礼にくる人共いひたはむる」。また「七日 藤重藤伯、大田左膳などを供なひて、東山長楽寺の花見にまかりし。花は今をさかり也けるが、いとう風ふき時雨たちて、冬のそらにことならず」。宣長の日記によれば、この年の3月3日の桃の節句には、雪が降ったとのこと。旧歴3月3日は今年でいえば4月11日にあたる。宣長のころでも桃の節句に雪が降るのは珍しかったのだろう。西行の「吉野山さくらが枝に雪降りて 花おそげなる年にもあるかな」という心持か。この月、宣長は西本願寺で能を観ている。演目は「嵐山、八島、西行桜、松風、歌占、邯鄲、百万、船弁慶など」とある。一日でこれだけ観ることができたのだろうか。この中で私が観たことがあるのは、「八島、百万、船弁慶」くらいか。桜の頃に「熊野」を見たが、あれは悲しいけれど舞台が華やかでいい。
午後から洛西の日文研へK先生の退官記念講演を聞きにいく。雨の中、満員の聴衆でいまや時の人であるK先生の人気が思われた。日文研には日本史の磯田道史、呉座勇一というベストセラーをものとする学者がいるが、このたび退官されるK先生(倉本一宏さん)も平安古記録研究の第一人者として注目される存在。NHKの大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を担当して、関連書が矢継ぎに出版されているのもすごい。この日は「紫式部ーその第三の人生」と題して、藤原実資の日記「小右記」に登場する紫式部(藤原為時女)を紹介、その後も彼女らしき女房の記述を拾い集めてその存在を検証された。紫式部を中宮彰子と実資を取り次ぐ「申次女房」と命名されたのも印象ふかい。ここでも「歴史を語るのに、歴史文学を根拠としてはならない」と力説、史料の扱いの大切さを繰り返された。日文研の講演会に初めてきたのは1995年5月のこと。そのとき梅原猛所長の退任記念講演を聴いた。山折哲雄の司会で、伊東俊太郎、上田正昭、河合隼雄の話もあった。「新しい哲学を生まなければ」という梅原猛の言葉が記憶に残っている。
午後から洛西の日文研へK先生の退官記念講演を聞きにいく。雨の中、満員の聴衆でいまや時の人であるK先生の人気が思われた。日文研には日本史の磯田道史、呉座勇一というベストセラーをものとする学者がいるが、このたび退官されるK先生(倉本一宏さん)も平安古記録研究の第一人者として注目される存在。NHKの大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を担当して、関連書が矢継ぎに出版されているのもすごい。この日は「紫式部ーその第三の人生」と題して、藤原実資の日記「小右記」に登場する紫式部(藤原為時女)を紹介、その後も彼女らしき女房の記述を拾い集めてその存在を検証された。紫式部を中宮彰子と実資を取り次ぐ「申次女房」と命名されたのも印象ふかい。ここでも「歴史を語るのに、歴史文学を根拠としてはならない」と力説、史料の扱いの大切さを繰り返された。日文研の講演会に初めてきたのは1995年5月のこと。そのとき梅原猛所長の退任記念講演を聴いた。山折哲雄の司会で、伊東俊太郎、上田正昭、河合隼雄の話もあった。「新しい哲学を生まなければ」という梅原猛の言葉が記憶に残っている。